文永の役で元・高麗軍の上陸地に戦死した宗助国を奉斎、11月に武者行列
[住所]長崎県対馬市厳原町小茂田742
[電話]0920-56-0274

小茂田浜神社(こもだはまじんじゃ)は、長崎県対馬市にある神社。対馬西南海岸に位置し、元寇(文永の役)の際に元・高麗連合軍が上陸した地にあたる。近代社格では県社御朱印の有無は不明。

宗右馬允助國(宗助国)を主祭神とする。また元寇で戦死した将士の霊を祀っている。鎌倉時代の文永11年(1274年)、助国が戦死した地に、首塚や胴塚の祀が建立されたのが創始。

南北朝時代の正平2年(1347年)4月になり、助国の後裔宗経茂が現在地に遷し、神領を寄進して宗家の祭祀とし、改めて帥大明神社(軍大明神社)と称した。

江戸時代になり、元禄年間(1688年-1704年)に宗義真はその勲功を欽仰して神門及び石碑を建立した。寛政年間(1789年-1801年)から毎年宗氏が祭典を執行した。

明治15年(1882年)、県社に列した。明治29年(1896年)、助国に従三位が追贈された。大正13年(1924年)、鳥居の新設や元寇650周年記念碑を建設。

昭和49年(1974年)には 元寇700年記念碑が建立され、「平和之碑」と刻まれている。

「国難事変に際して神威を顕し命を賭して戦い、平時においては国家の平和を護り給う」神として対馬島民に崇敬されている。

例祭は11月12日。鎧武者を先頭にした武者行列が浜まで歩き、蒙古軍を迎え撃ったごとく海に向かって弓矢をかまえる「鳴弦の儀」が行われる。

小茂田浜神社の前の浜は、小茂田浜と呼ばれ、文永の役の上陸地であり、現在は小茂田浜の歌の石碑が設置され、元寇襲来の様子が歌われている。

境内には他に、元寇絵馬や助國忌之石碑などがある。

元寇に関連して、壱岐には少弐資時を祀る芦辺町の壱岐神社や、平景隆を祀る勝本町の新城神社がある。

【ご利益】
平穏安寧、敵国降伏
小茂田浜神社 - 文永の役で元・高麗軍の上陸地に戦死した宗助国を奉斎、11月に武者行列
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