10月に約1ヶ月の当番祭、室町期建立・全国唯一の工法の本殿
[住所]岡山県加賀郡吉備中央町吉川3932
[電話]0866-56-7419
吉川八幡宮(よしかわはちまんぐう)は、岡山県加賀郡吉備中央町にある神社。近代社格では県社。応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を祀る。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、平安時代後期の永長元年(1096年)に石清水八幡宮の別宮として建立されたという。当地一帯は石清水八幡宮の荘園となっていた。
『石清水八幡宮文書』によれば、備中国吉川保に御調別宮、椙原別宮とがあったようで、これが当宮になった経緯は今のところ不明である。
なお、備後国にも御調別宮があったが、これは現在、広島県三原市の御調八幡宮となっている。
当宮と石清水八幡宮の関係については、鎌倉時代初期の説話集『古事談』に「石清水八幡宮の楽人である元正が、当社の大祭にはるばる下向し秘楽を奉納した」との記述がある。
文禄元年(1592年)、豊臣秀吉が365石を寄進、慶長年間(1596年-1615年)に領主木下家の祈願所となり、慶長9年(1604年)、木下肥後守の資金による社務所が修理された。
室町時代前期の応永2年(1395年)に建造され、幕末の元治元年(1864年)に作り替えられた本殿が現存し、現在は国の重要文化財に指定されている。
この本殿は、平成8年-10年(1996年-1998年)に解体修理が行われ、全国で初めて、建築部材の一部に縦引き鋸を使用せず縦一列に鑿を打ち込んで割る工法が確認された。
寛延3年(1750年)の建立となる隋神門や、元治元年(1864年)の棟札がある拝殿が県指定重要文化財。また毎年10月、約1ヶ月にわたって行われる当番祭が県指定重要無形民俗文化財。
10月1日の「当指し(とうざし)」に始まり、10月26日の大祭、翌日の「波区芸(はくげ)揚げ」で終わる。現在は10月第4日曜日が大祭日、その翌日が「波区芸揚げ」。
10歳前後の男児2人が当指しによって当番(当人)に選ばれ、この2人は「垢離取り(こりとり)」という心を守る誓いの神事によって、神人となり祭りの主役となる。
当番の家には「波区芸」と呼ばれる神の降臨を仰ぐ施設が作られ、祭りの中心となる。大祭では、当番の2人が乗馬し供人を従えて当宮へ参詣する。
当宮で神事・式典が行われ、午後には400メートル離れた御旅所に移動する神事が行われる。大祭のクライマックスでは当番・供人の走り競べが行われる。「波区芸揚げ」の行事で当番は神界から俗界に戻り祭りが終了する。
境内の西隣には重森三玲記念館と彼が設計した茶室・天籟庵がある。
県道を挟んで境内東側にある忠霊社の奥には帆立貝式古墳の高塚古墳があり、古墳時代後期の築造と推定されている。この古墳は吉備津彦命の臣下・楽々森彦(ささもりひこ)の墓という伝承がある。
なお、大阪府豊能郡豊能町吉川に吉川八幡神社があり、当社と社号が似ているが、大坂に当社とまったく同名の神社はない。
【ご利益】
厄災除け、地域・家内安全、安産・子育て

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[電話]0866-56-7419
吉川八幡宮(よしかわはちまんぐう)は、岡山県加賀郡吉備中央町にある神社。近代社格では県社。応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を祀る。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、平安時代後期の永長元年(1096年)に石清水八幡宮の別宮として建立されたという。当地一帯は石清水八幡宮の荘園となっていた。
『石清水八幡宮文書』によれば、備中国吉川保に御調別宮、椙原別宮とがあったようで、これが当宮になった経緯は今のところ不明である。
なお、備後国にも御調別宮があったが、これは現在、広島県三原市の御調八幡宮となっている。
当宮と石清水八幡宮の関係については、鎌倉時代初期の説話集『古事談』に「石清水八幡宮の楽人である元正が、当社の大祭にはるばる下向し秘楽を奉納した」との記述がある。
文禄元年(1592年)、豊臣秀吉が365石を寄進、慶長年間(1596年-1615年)に領主木下家の祈願所となり、慶長9年(1604年)、木下肥後守の資金による社務所が修理された。
室町時代前期の応永2年(1395年)に建造され、幕末の元治元年(1864年)に作り替えられた本殿が現存し、現在は国の重要文化財に指定されている。
この本殿は、平成8年-10年(1996年-1998年)に解体修理が行われ、全国で初めて、建築部材の一部に縦引き鋸を使用せず縦一列に鑿を打ち込んで割る工法が確認された。
寛延3年(1750年)の建立となる隋神門や、元治元年(1864年)の棟札がある拝殿が県指定重要文化財。また毎年10月、約1ヶ月にわたって行われる当番祭が県指定重要無形民俗文化財。
10月1日の「当指し(とうざし)」に始まり、10月26日の大祭、翌日の「波区芸(はくげ)揚げ」で終わる。現在は10月第4日曜日が大祭日、その翌日が「波区芸揚げ」。
10歳前後の男児2人が当指しによって当番(当人)に選ばれ、この2人は「垢離取り(こりとり)」という心を守る誓いの神事によって、神人となり祭りの主役となる。
当番の家には「波区芸」と呼ばれる神の降臨を仰ぐ施設が作られ、祭りの中心となる。大祭では、当番の2人が乗馬し供人を従えて当宮へ参詣する。
当宮で神事・式典が行われ、午後には400メートル離れた御旅所に移動する神事が行われる。大祭のクライマックスでは当番・供人の走り競べが行われる。「波区芸揚げ」の行事で当番は神界から俗界に戻り祭りが終了する。
境内の西隣には重森三玲記念館と彼が設計した茶室・天籟庵がある。
県道を挟んで境内東側にある忠霊社の奥には帆立貝式古墳の高塚古墳があり、古墳時代後期の築造と推定されている。この古墳は吉備津彦命の臣下・楽々森彦(ささもりひこ)の墓という伝承がある。
なお、大阪府豊能郡豊能町吉川に吉川八幡神社があり、当社と社号が似ているが、大坂に当社とまったく同名の神社はない。
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