平安期の玉井宮と江戸期の東照宮が明治に合祀、江戸初期の本殿、安産の神
[住所]岡山県岡山市中区東山1-3-81
[電話]086-272-0407

玉井宮東照宮(たまいぐうとうしょうぐう)は、岡山県岡山市中区の東山丘陵にある神社。御祭神は豊玉比売命彦火火出見命玉依比売命・徳川家康公。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

もともと、児島半島東端の児島郡小串村大字光明崎(現 岡山市南区小串)に鎮座していた。

平安時代の応徳2年(1085年)、現在地に玉井宮として移転遷座。この時の御祭神は豊玉比売命1柱のみであったと伝わる。

この遷座について、社頭より夜ごと怪しい光が発せられ、このため魚が寄りつかなくなり漁師は不漁で困っていた。

そこで神前にお伺いをたてたところ、「御幣が舞い上がり、飛んで立ったところに遷座するように」との御神託があった。

その御幣が立ったところを幣立山と呼び遷座した。そして、この宮を「玉井宮」または「玉の宮」と呼ぶようになったという。

江戸時代になり、正保2年(1645年)、岡山藩主池田光政は、この地に東照宮を勧進した。玉井宮は前の広場(現 駐車場)に移転した。

現存する本殿は正保元年(1644年)の建造で、桁行三間、梁間二間、銅板葺の入母屋造。現在は県の重要文化財に指定されている。

江戸時代に玉井宮の御祭神として、新たに彦火火出見命、玉依比売命の2柱が合祀されたという。

嘉永3年(1850年)、中納言高松季実の執奏により、皇后安産の祈願を行い、当時の祠官佐々木左兵衛介は上京参内しお守り札を献上している。その時高松中納言から以下の和歌が下され、以来、安産の神として崇敬されるようになった。
大君の 御子のいのりの 功績を 雲井に高く きこえあげたり
明治時代になり、明治14年(1881年)、玉井宮と東照宮が合祀され、現社号に定まり、県社に列格した。明治33年(1900年)、旧玉井宮の建物を移転し、拝殿の建立が行われ、境内が整備された。

太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)6月29日未明の岡山空襲では、本殿や鳥居に焼夷弾が落下し、一部破損したがおおむね無事であった。

昭和22年(1947年)、操山の山上にあった旧県社三勲神社(和気清麿公・児島高徳公・楠正行公)を、祭祀が出来なくなったため当宮の境内に遷座した。

平成元年(1989年)1月31日未明に不慮の火災により、幣拝殿・神饌所・社務所・参集所などを焼亡、その後5年の歳月を掛けて再建された。

例祭は、7月30日が夏祭で、10月24・25日が秋祭。

境内には、伊勢神宮をはじめ、各地方の大社を拝む遥拝所や、本殿左に白龍社、本殿右に金龍社があり、参道右に、玉井宮が祀られる以前からある荒神社(火の神様)がある。

また、荒神社の反対側に天神社(菅原道真公)があり、鳥居の外には、代々の宮司と総代を祀る少宮社がある。稲荷社、倉稲魂社も祀られている。

【ご利益】
安産・縁結び・子授け・心願成就・家内安全など(公式HP
玉井宮東照宮 - 平安期の玉井宮と江戸期の東照宮が明治に合祀、江戸初期の本殿、安産の神
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