甲山に鎮座する、鴻と大蛇が死闘を繰り広げた「鴻の宮」、南北朝期の木製狛犬
[住所]岡山県倉敷市児島下の町7-14-1
[電話]086-472-3125

鴻八幡宮(こうはちまんぐう)は、岡山県倉敷市児島下の町にある神社。旧琴浦町の下の町、上の町、田の口、唐琴の総氏神であり、近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

児島半島西部を占める由加山山系西端、標高約102メートルの甲山西麓を境内とし、標高約20メートルの高台がその中心となっている。

甲山前面には東西巾約500メートル、南に向かって瀬戸内海に開ける南北に長い沖積平野があり、中央に下村川が南流する。

下村川東岸に平行して走る街道沿に面する「馬場の松原」と呼ばれる参道から甲山に向かって東進し、鳥居をくぐると土の急坂である表参道に入る。

参道を上ると神門に達し、正面に拝殿が見える。参拝はほぼ東に向かって拝む形になる。境内からは南に瀬戸内海を望み、その眼下に近世に由加山と讃岐金刀比羅宮の両参りの港であった旧下村湊(現堀江港)と旧市街が開ける。

社伝などによれば、大宝元年(701年)3月、豊前宇佐八幡宮から勧請されたといわれている。御祭神は、譽田別尊足仲彦天皇命息長帶姫命仲姫命玉依姫命の5柱。

社号について、江戸時代の寛政年間(1789年-1801年)に編纂された『吉備温故秘録』によれば、昔当社の宮山に鴻(こうのとり)が群棲して、参拝者がその雛のいる時はこれを恐れた。

また当社自体にも大蛇が棲みついていたのでこれも恐れて参詣を避けた。社域が荒れ果て、嘆いた氏子一同が神に祈願した。

早朝に神前に集うように夢告された氏子一同がそうしてみると、神殿が震動して中から1匹の大蛇が現れ出て、鴻の巣の掛かった大木に登り、群棲する鴻と死闘を繰り広げ、両者滅んだ。

そのため、「鴻の宮」と称されるようになったという。また、かつては「甲八幡宮」「甲社八幡」とするものもあり、甲山とのゆかりが考えられている。

南北朝時代の建武3年(1336年)銘の木製狛犬が1対伝わる。市の文化財に指定されている。

後醍醐天皇の皇子宗良親王が、元弘の乱により鎌倉幕府に捉えられ讃岐国へ流される途中、当社に立ち寄り祈願し、鎌倉幕府滅亡後帰京の折に彫工慶尊に命じて彫らせ寄進したものという。

寛文11年(1671年)の宗門改め状が伝わり、その中に川本平大夫の名が見える。現宮司家である河本家の祖先とされる。

本殿は安永年間(1772年-1781年)の建築で、欅材による入母屋造平入檜皮葺。昭和19年(1944年)に県社に列した。

例祭は10月第2土・日曜日。計18台の山車(だんじり)と1台の千歳楽(太鼓台)が表参道の約16度、長さ80メートルの坂を駆け上がることで知られる。

演奏される7曲からなる祭囃子は「しゃぎり」と呼ばれ、その起源は不明であるが、一説には江戸時代後期に京都・大阪から伝わったとされる。

当宮例大祭は、岡山三大だんじり祭りに数えられ、県の無形民俗文化財に指定されている。

摂末社に、若宮神社(大雀命など)、熊野神社(熊野夫須美大神など)、龍神社(綿津見命)、鴨神社(味鋤高日子根命)・高良神社(高良玉垂命など)、荒神社(素盞嗚命)、鷺神社(稲背脛命)がある。

【ご利益】
国家鎮護の神、厄除開運の神、殖産の神、交通安全や安産の守神(公式HP
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鴻八幡宮の御朱印