岡山市の干拓地総鎮守、高松城水攻めゆかりの道通宮、3月に御神木の争奪戦
[住所]岡山県岡山市中区沖元411
[電話]086-277-0196

沖田神社(おきたじんじゃ)は、岡山県岡山市中区にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

岡山市の干拓地総鎮守で、御祭神は天照大御神素戔嗚尊軻遇槌命倉稲魂命句句廼智命、おきた姫。

沖新田の開墾は、岡山藩の藩政確立に大きな役割を果たした津田永忠が、綱政の命を受けて元禄5年(1692年)正月11日に着工した。

工事は急ピッチで進められ、潮留め築堤・疎水・検地を終え、約2000町歩の広大な新田が開かれた。

この最後の潮止め工事に際し、人柱として一身を捧げたのが、現在御祭神として祀られているおきた姫で、本殿下に五輪塔と祠があり、この人柱となった女性を慰霊・鎮魂するものと考えられている。

この開拓地の産土神として建立されたのが当社で、元禄7年(1694年)4月、当時の神祇官である京都の吉田殿に見垣近江の守を派遣し、神の来臨を請願、同年5月23日に現社号の神宣が下された。

当初は現在の岡山市福島にあたる御野群の住吉宮に鎮座したが、同年9月3日に岡山市沖元宮地在の、現在は古宮様と呼ばれる地に遷座。

しかし、境内の土地が低く、大風・高潮・洪水の被害を受け、拝殿にまでも水が入り込むことがあったため、宝永6年(1709年)、現在地に移転した。

明治の廃藩置県後には郷社に列し、大正12年(1923年)5月25日に県社に昇格した。

現在、当社は公式サイト名などでも「沖田神社・道通宮」としているが、その道通宮(どうつうぐう)は当社境内の末社。

道通宮の御祭神は猿田彦命で、高松城に奉斎され、城主清水宗治の次男・長九朗がかねてより信奉していた。

天正10年(1582年)の高松城水攻めの際、長九朗はその使いの白蛇に導かれて浅口郡西大島御滝山(現在の笠岡市西大島)に逃れることができたという。

その後、長九朗は道通宮への信仰を強め、その子孫が沖新田に移り、寛政12年(1800年)に道通宮を当社境内に遷宮し、当社の末社に加えられた。

例祭は5月10・11日が春季例大祭で春祭り、10月10・11日が秋季例大祭で秋祭り。秋祭りでは、前日の9日に氏参り・宵祭りとも呼ばれる前夜祭がある。

10月10日には境内で子供相撲大会・剣道大会が行われ、氏子児童の習字の額行灯が奉納される。翌11日の式典では「雅楽」が演奏され、「吉備舞」も奉納される。

道通宮の祭礼も多いが、3月第1日曜日には子供の会陽が行われる。小学生男子が、御神木の争奪戦を繰り広げる勇壮な祭り。

【ご利益】
開運招福、五穀豊穣・商売繁盛、厄災除け、交通安全、導き(公式HP
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沖田神社の御朱印