応神朝に帰化した一族が奉斎した蓬莱庭園、日本一の「阿知の藤」
[住所]岡山県倉敷市本町12-1
[電話]086-425-4898

阿智神社(あちじんじゃ)は、岡山県倉敷市本町にある神社。近代社格では県社。市中心部、倉敷美観地区の北にある鶴形山と呼ばれる小高い山の上に鎮座する、倉敷の総鎮守。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は、宗像三女神。相殿に応神天皇の他、約30柱の神々を祀る。社伝によると、神功皇后が当時、内亀島と呼ばれる吉備の穴海の一つの島だった鶴形山の付近を航行した際、嵐に遭った。

そのため祈願したところ、三振の剣が天空より明るく輝いてこの山に天下ったため、「明剣宮」として、宗像三女神を奉斎したという。

第15代応神天皇の時代、朝鮮半島より渡ってきた後漢の霊帝の曾孫とされる、阿知使主(あちのおみ)一族が、当地に定住し、製鉄・機織・土木などの先進文化を担う技術集団として、吉備国の繁栄の礎を築いたとされる。

『古事記』にも明記される阿知使主の一族がこの鶴形山に、神々の天降られる斎庭として、日本最古の蓬莱様式の古代庭園を造営したと伝わる。

現在でも山には「天津磐境」をはじめ磐座が点在し、「斎館」と呼ばれる館の庭には陰陽磐座や水琴窟があり、古代から神の島として崇められてきたと考えられている。

一族が帰化するにあたって、その帰属意識を明らかにするため、日本に古来より伝わる磐座、磐境を設け、さらに彼らの民俗としての鶴亀の神仙蓬莱思想や陰陽思想を導入したもの、との指摘もある。

第17代履中天皇の時代、一族に功績があり、内蔵寮に任命され領地を賜ったという。阿知の名前が残されたこの地がそれであったと推定され、一族が奉斎した社が当社。そのため、阿智の明神とも呼ばれた。

中世、神道が仏教と習合し、明治までは「妙見宮」と称されたが、明治になり、阿知使主の一族の功績を称え、現社号に定まったという。

「阿知の藤」と呼ばれる、日本一の大きさと古さといわれる藤棚で有名である。これにより、倉敷市の花に藤が認定され、県の天然記念物にも指定されている。毎年5月1日-5日には藤祭(藤まつり)が開催される。

それにちなみ、「阿知の藤実守」がある。阿知の藤の実を入れ、お守袋には可憐な曙藤をあしらったもの。不死(健康長寿)と不二(和合)にかけ、宗像三女神の加護もある幸福守。

例祭は10月第3土曜日で、秋季例大祭。当日には車輌巡幸や三女神の舞、子供神楽などの神賑いがある。翌日の御神幸は総勢250人が14-15キロ練り歩く時代行列がある。

境内社として、荒神社、城山稲荷、菅原神社、倉敷護国神社がある。

【ご利益】
商売繁盛・交通安全(公式HP
阿智神社(倉敷市) - 応神朝に帰化した一族が奉斎した蓬莱庭園、日本一の「阿知の藤」
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阿智神社(倉敷市)の御朱印