瀬戸内海の渦巻く島だった航海安全の神「帆下げの宮」、江戸期に陸続きに
[住所]岡山県倉敷市笹沖1033
[電話]086-425-7292
足高神社(あしたかじんじゃ)は、岡山県倉敷市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 窪屋郡「足高神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
倉敷市中心部の南部に位置する標高67メートルの足高山山上に鎮座する。周辺は足高公園となっており、春には桜の花見客で賑わう。
現在は陸続きとなっているが、かつては「小竹島」または「笹島」と呼ばれる瀬戸内海(吉備の穴海)に浮かぶ島だった。他にも戸島、藤戸島、吉備の小島、奥津島などとも呼ばれていた。
「小竹島」または「笹島」と呼ばれていた島であった頃、島の周囲は潮流が激しく渦が巻いていた。ここを通る船はすべて帆を下げ、当社に航海の安全を祈願したことから、「帆下げの宮」と呼ばれた。
現在の鎮座地の地名である「笹沖」は、「笹島の沖」であったことに由来する。
社伝によれば、第10代崇神天皇の時代にこの地に勧進された。主祭神は大山津見命で、石長比賣命・木之花佐久夜比賣命を配祀する。父と娘たち、姉妹という形になる。
『延喜式』後間もなく、平安時代の天暦元年(947年)、村上天皇は藤原兼成を遣わして奉幣御祈願の儀を行った。天暦3年(949年)に社殿が造営されたと伝わる。
寛和元年(985年)、神宮寺として神遊山神宮寺遍照院が建立された。鎌倉時代の寛元元年(1243年)、足高八幡大菩薩の勅額の下賜があった。
延慶元年(1308年)、勅額と獅子頭一対を下賜され、また、南北朝時代の建徳元年(1370年)、九州探題として赴任途上だった今川定世が、海路の航海の安全を祈願して狛犬を奉納した。
足高山は桃山時代から江戸時代前期の間に干拓され、陸続きとなった。江戸時代を通じ岡山藩の支藩である鴨方藩の祈願所となり藩主が替わるたびに参拝した。
江戸時代後期までは、葦高神社と呼ばれていた。例祭は10月第2土・日曜日で秋祭り。
【ご利益】
航海・旅行・交通安全、リフレッシュ

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『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 窪屋郡「足高神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
倉敷市中心部の南部に位置する標高67メートルの足高山山上に鎮座する。周辺は足高公園となっており、春には桜の花見客で賑わう。
現在は陸続きとなっているが、かつては「小竹島」または「笹島」と呼ばれる瀬戸内海(吉備の穴海)に浮かぶ島だった。他にも戸島、藤戸島、吉備の小島、奥津島などとも呼ばれていた。
「小竹島」または「笹島」と呼ばれていた島であった頃、島の周囲は潮流が激しく渦が巻いていた。ここを通る船はすべて帆を下げ、当社に航海の安全を祈願したことから、「帆下げの宮」と呼ばれた。
現在の鎮座地の地名である「笹沖」は、「笹島の沖」であったことに由来する。
社伝によれば、第10代崇神天皇の時代にこの地に勧進された。主祭神は大山津見命で、石長比賣命・木之花佐久夜比賣命を配祀する。父と娘たち、姉妹という形になる。
『延喜式』後間もなく、平安時代の天暦元年(947年)、村上天皇は藤原兼成を遣わして奉幣御祈願の儀を行った。天暦3年(949年)に社殿が造営されたと伝わる。
寛和元年(985年)、神宮寺として神遊山神宮寺遍照院が建立された。鎌倉時代の寛元元年(1243年)、足高八幡大菩薩の勅額の下賜があった。
延慶元年(1308年)、勅額と獅子頭一対を下賜され、また、南北朝時代の建徳元年(1370年)、九州探題として赴任途上だった今川定世が、海路の航海の安全を祈願して狛犬を奉納した。
足高山は桃山時代から江戸時代前期の間に干拓され、陸続きとなった。江戸時代を通じ岡山藩の支藩である鴨方藩の祈願所となり藩主が替わるたびに参拝した。
江戸時代後期までは、葦高神社と呼ばれていた。例祭は10月第2土・日曜日で秋祭り。
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