東海道屈指の諏訪明神祭と評された、10月に四日市祭として継承
[住所]三重県四日市市諏訪栄町22-38
[電話]059-352-2422
諏訪神社(すわじんじゃ)は、三重県四日市市諏訪栄町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
地元の人々から「おすわさん」と呼ばれる、四日市の産土神で、四日市祭で知られる。
社伝によれば、鎌倉時代の建仁2年(1202年)、諏訪大社の上社と下社を勧請して創建した。御祭神は建御名方神と八重事代主神。
ただし、この伝承に関しては当社自身、懐疑的なところがあり、現在も大正期に当社宮司が発表した応永年間(1394年-1427年)勧請説を当社公式サイトでは紹介している。
それによれば、浜田城城主田原忠秀が浜田城を文明2年(1470年)に築城、四日市の地名の初見が文明5年(1473年)とされるため、この室町時代の時期の創建とする。
江戸時代になると、四日市は東海道の宿駅に定められ、浜田と四日市は一体の町場に発展。道中の旅人が当社に多く参詣し、『伊勢参宮名所図会』『東海道名所図会』などにも紹介された。
当時は正一位諏訪大明神と呼ばれ、現在でいう四日市祭、当時は諏訪明神祭と呼ばれ、街道屈指の殷賑さを誇る祭礼として近郷近在の見物客を集めた様子がうかがえる。
境内社として、寛永5年(1628年)には菅原神社、通称諏訪天神が創建された。本殿は四日市空襲で焼失し、現在は小祠が再建されている。
嘉永6年(1853年)には政成稲荷大明神が創建され、地元の人々から「まさなりさま」と親しまれている。
明治になり、明神号が廃され、明治6年(1873年)3月に県社に列す。その際、市濱諏訪神社への改称も検討されたが、結局は現社号に定まった。
明治41年(1908年)、四日市市内に43社あった山の神などを合祀、現在は境内社として山津見神社がある。
隣接地を明治37年(1904年)に公園として整備し「保光苑」と名付け、明治40年(1907年)には市へ移管。さらに大正5年(1916年)には諏訪公園に改称され、現在に至る。
園内にある「すわ公園交流館」は、昭和4年(1929年)竣工の旧四日市市立図書館で、国の登録有形文化財となっている。
昭和20年(1945年)6月の四日市空襲で当社も全焼。しかし、崇敬者による協力で昭和26年(1951年)には復興が始まり、順次境内が整備された。
平成14年(2002年)には鎌倉期創建説に基づく、鎮座800年祭が執り行われた。
江戸期から続く四日市祭は10月第1日曜日とその前日に開催され、氏子の各町から「邌物」(ねりもの)と呼ばれる山車や行列など、四日市諏訪太鼓を含む奉納演技が行なわれる。
四日市空襲でほとんどの邌物が焼失し、昭和49年(1974年)の大水害以後、邌物の奉納は途絶えていたが、平成9年(1997年)に再開された。
空襲による焼失を免れた「鯨船山車(南納屋町)」と「大入道山車(中納屋町)」が県の有形民俗文化財に指定されている。
また、「富士の巻狩り(南浜田町)」「大名行列(旧 比丘尼町)」「浜田大山車の舞獅子(旧 南濱田)」が市の無形民俗文化財に指定されている。
【ご利益】
地域・家内安全、地域振興、商売繁盛、武運長久(公式HP)

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諏訪神社(すわじんじゃ)は、三重県四日市市諏訪栄町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
地元の人々から「おすわさん」と呼ばれる、四日市の産土神で、四日市祭で知られる。
社伝によれば、鎌倉時代の建仁2年(1202年)、諏訪大社の上社と下社を勧請して創建した。御祭神は建御名方神と八重事代主神。
ただし、この伝承に関しては当社自身、懐疑的なところがあり、現在も大正期に当社宮司が発表した応永年間(1394年-1427年)勧請説を当社公式サイトでは紹介している。
それによれば、浜田城城主田原忠秀が浜田城を文明2年(1470年)に築城、四日市の地名の初見が文明5年(1473年)とされるため、この室町時代の時期の創建とする。
江戸時代になると、四日市は東海道の宿駅に定められ、浜田と四日市は一体の町場に発展。道中の旅人が当社に多く参詣し、『伊勢参宮名所図会』『東海道名所図会』などにも紹介された。
当時は正一位諏訪大明神と呼ばれ、現在でいう四日市祭、当時は諏訪明神祭と呼ばれ、街道屈指の殷賑さを誇る祭礼として近郷近在の見物客を集めた様子がうかがえる。
境内社として、寛永5年(1628年)には菅原神社、通称諏訪天神が創建された。本殿は四日市空襲で焼失し、現在は小祠が再建されている。
嘉永6年(1853年)には政成稲荷大明神が創建され、地元の人々から「まさなりさま」と親しまれている。
明治になり、明神号が廃され、明治6年(1873年)3月に県社に列す。その際、市濱諏訪神社への改称も検討されたが、結局は現社号に定まった。
明治41年(1908年)、四日市市内に43社あった山の神などを合祀、現在は境内社として山津見神社がある。
隣接地を明治37年(1904年)に公園として整備し「保光苑」と名付け、明治40年(1907年)には市へ移管。さらに大正5年(1916年)には諏訪公園に改称され、現在に至る。
園内にある「すわ公園交流館」は、昭和4年(1929年)竣工の旧四日市市立図書館で、国の登録有形文化財となっている。
昭和20年(1945年)6月の四日市空襲で当社も全焼。しかし、崇敬者による協力で昭和26年(1951年)には復興が始まり、順次境内が整備された。
平成14年(2002年)には鎌倉期創建説に基づく、鎮座800年祭が執り行われた。
江戸期から続く四日市祭は10月第1日曜日とその前日に開催され、氏子の各町から「邌物」(ねりもの)と呼ばれる山車や行列など、四日市諏訪太鼓を含む奉納演技が行なわれる。
四日市空襲でほとんどの邌物が焼失し、昭和49年(1974年)の大水害以後、邌物の奉納は途絶えていたが、平成9年(1997年)に再開された。
空襲による焼失を免れた「鯨船山車(南納屋町)」と「大入道山車(中納屋町)」が県の有形民俗文化財に指定されている。
また、「富士の巻狩り(南浜田町)」「大名行列(旧 比丘尼町)」「浜田大山車の舞獅子(旧 南濱田)」が市の無形民俗文化財に指定されている。
【ご利益】
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