『古事記』に天手力男命が坐したと明記された式内社、伊勢外宮と深い関係
[住所]三重県多気郡多気町仁田156
[電話]0598-39-3266

佐那神社(さなじんじゃ)は、三重県多気郡多気町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「佐那神社(伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

伊勢の神宮(伊勢神宮)、特に豊受大神宮(外宮)との関係が深く、神宮の式年遷宮に合わせて外宮造替使によって社殿が建て替えられた6社のうちの1社。

御祭神は、天手力男命曙立王命。『古事記』に、天手力男命は「手力男神者、坐佐那那県也」と、曙立王命は「此曙立王者、伊勢之品遅部君、伊勢之佐那造之祖」とある。

社名の「佐那」は、『古事記』や『皇太神宮儀式帳』に記載のある「佐那県」に由来する。また近世には鎮座地周辺を「佐奈谷」と称していた。

江戸時代には俗称として「大森社」「中の宮」と呼ばれていた。佐奈神社とも。

「中の宮」の名は、神宮造替使によって社殿の建て替えが行われた多気郡の3社である須麻漏賣社を一之大宮、櫛田神社を大社と呼んだことと関連すると考えられている。

創建は不詳。元禄12年(1699年)まで有爾郷より土器が調進されていた。江戸時代には、中断していた式年遷宮の制度が再開された。

享保9年(1724年)、和歌山藩は当時「中の宮」などと呼ばれていた当社の社頭に「佐那神社」の標石を立て、式内社に比定した。

氏子地域である仁田村と五桂村の村民は毎年正月に藁を納めた。明治4年(1871年)に村社に列格、明治39年(1906年)12月25日に神饌幣帛料供進社に指定された。

明治41年(1908年)1月8日には佐奈村内の諸社を合祀し、同時に現社号に定めた。合祀神社の中には、下記の伊勢国多気郡の式内論社が含まれる。

「火地神社」論社の油夫八柱神社、「須麻漏賣神社」論社の平谷須麻漏賣神社、「守山神社」と「穴師神社」の論社である神坂八柱神社。結果、合祀した神々は以下の通り。

天宇受賣命、速玉男命、伊邪那美命天照大御神須佐之男命天忍穂耳命天穂日命天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命多紀理毘賣命多岐都比賣命市寸嶋比賣命(以上3柱は宗像三女神。それも含む以上8柱が五男三女神)、火産霊神倉稲魂命大山祇神木花咲耶姫命、事解男命、誉田別尊猿田彦命菅原道真公、不詳2座。

昭和2年(1927年)11月に敷地を拡張し、昭和18年(1943年)10月8日に県社に昇格した。もともと11月5日だった例祭が、県社昇格を記念して、10月8日に変更された。

平成20年(2008年)6月6日、社務所から出火、全焼した。平成25年(2013年)10月2日には60年ぶりの社殿の建て替えに向けて「手斧始め祭」が行われた。

平成27年(2015年)3月13日に遷座祭が執り行われ、同年3月29日には遷座を祝う「式年遷座奉祝祭」が催行された。

境内社に和玉神社と神明社がある。郷土の英霊を祀る和玉神社は拝殿・本殿・玉垣を有す。神明社は小祠。

他に天宇受賣命の荒魂・和魂を祀る2本の自然石、大山祇神を祀る自然石、伊勢神宮と熊野三山の遥拝所がある。

なお、式内社「火地神社」の他の論社に、松阪市保津町の天香山神社、柿木原町の二十五柱神社、明和町の麻續神社竹神社にそれぞれ合祀されたものがある。

式内社「穴師神社」の他の論社に、松阪市立田町の式内同名神社がある。式内社「守山神社」の他の論社に、明和町の畠田神社に合祀された御山御前神社がある。

式内社「須麻漏賣神社」の論社は他に、二十五柱神社に合祀された粒形社がある。

【ご利益】
地域・家内安全、身体壮健、スポーツ・技芸上達
佐那神社 - 『古事記』に天手力男命が坐したと明記された式内社、伊勢外宮と深い関係
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佐那神社の御朱印