伊勢の妹神、20年に一度の式年遷座とお木曳き、烏扇の伝承と夜がらす祭
[住所]三重県津市香良洲町高砂3675-1
[電話]059-292-3905

香良洲神社(からすじんじゃ)は、三重県津市香良洲町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「稲葉神社(伊勢国・壱志郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の御祭神天照大御神の妹神とされる稚日女命(わかひるめのみこと、天稚日女命とも)を祀る。

そのため、古くから「お伊勢詣りをして加良須に詣らぬは片参宮」と言われた。伊勢参宮街道から分岐し、当社に至る参道を香良洲道(からす道)という。

香良洲町内の区間は、三重県道575号香良洲公園島貫線に指定されている。香良洲大橋のたもとには、元治2年(1865年)の常夜灯と道標が残る。

婦人の守護神で、機織との関係から紡績業界、また、神功皇后の軍船を守護し導いたことから航海の神・海の守り神としても信仰されている。相殿神として御歳大神を祀る。

社伝では、飛鳥時代の第29代欽明天皇の代(539年-571年)に香良洲の浜に夜ごと御神火が現れ、住民が祟りだと恐れ、一志直青木が祈りを捧げ、神の御心を問うた。

すると稚日女命のお告げがあり、現在の兵庫県神戸市に鎮座する生田神社から勧請して創建された。

別説に、平安時代の大同2年(807年)創建という。大伴文守が伊勢平定のため当地を訪ね、平定後に当社へ参詣し、和平の誓約として矢を奉納したという。

社殿の造営修理には慶長年間(1596年-1615年)まで伊勢国司が、慶長以降は津藩主の藤堂氏が資金を拠出し、藤堂氏は寛延年間(1748年-1750年)に30石余を神領として寄進。

明治7年(1874年)、内務省が式内社「稲葉神社」の調査を行った際は、稲葉町の稲葉神社が式内社に比定された。

しかし、明治8年(1875年)に郷社に列せられ、明治15年(1882年)に県社に昇格、明治39年(1906年)に神饌幣帛料供進社に指定されている。

平成24年(2012年)8月11日、落雷が原因と見られる火災が発生し、茅葺きの本殿屋根全面が焼失したが、本殿内に白木の箱に入れて納められている御神体の石は無事だった。

例祭は7月15日で、夜がらす祭。その名の通り、県内では珍しい夜に行われる神事。

境内では地元の青年団や婦人会などの会員による手踊りが奉納され、花火も行われる。婦人会の会員はそろいの浴衣を着て踊り、祭りの客も輪に入って踊る。

8月15日・16日には宮踊りがある。「かんこ踊り」と呼ばれるもので、大きな太鼓を使うのが特徴。

「けんか踊り」「風采踊」とも呼ばれ、「香良洲町の宮踊」として県の無形民俗文化財に指定されている。

祭礼の時に、カラスを描いた扇子を販売する風習がある。町名は当社にちなむものだが、当社号は、当地がカラスの住まう地であったため、あるいはこの扇子を売ったことによる、などの説がある。

20年に一度、本殿と拝殿を建て替える式年遷座が行われる。平成26年(2014年)4月21日に明治18年(1885年)以来7度目となる遷座が行われた。

その前年にお木曳き(おきひき)が行われる。香良洲町内の9つの自治会がそれぞれ神社境内へ社殿造営のための用材を曳き込む祭事で、市指定無形民俗文化財。

この「烏扇」については、相殿神の大歳神の子が当地を訪れた時、地主神が農民に牛肉を食べさせているのを目撃して怒り、田へイナゴを放った。

これに困った地主神が大歳神に伺いを立てると、「烏扇」であおぎ飛ばすように教えられ、イナゴ被害が収まったという説話が伝わる。『古語拾遺』にも同様のものが記載されている。

境内社に、稚日女命の荒魂と香良洲町内11社から合祀した小香良洲社、大国社、稲荷社、浜宮、忠魂社、厩社があり、絵馬や写真を奉納する絵馬殿がある。

北海道中川郡幕別町南勢に同名神社がある他、静岡県島田市の茨神社、愛知県日進市の香良須社、三重県鈴鹿市の川俣神社が分社である。

【ご利益】
地域・家内安全、機織り・紡績、航海守護
香良洲神社 - 伊勢の妹神、20年に一度の式年遷座とお木曳き、烏扇の伝承と夜がらす祭
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香良洲神社の御朱印