鎌倉末期創建、土岐氏・明智氏ゆかり、流鏑馬と元禄期社殿
[住所]岐阜県土岐市妻木町3051-1
[電話]0572-57-6441
八幡神社(はちまんじんじゃ)は、岐阜県土岐市妻木町にある神社。近代社格では県社。土岐氏ゆかりの神社で、社紋は土岐氏の家紋と同じ「土岐桔梗」である。参拝すれば、御朱印を頂ける。
鎌倉時代末期の元応元年(1319年)、土岐頼貞が氏神として創建した。主祭神は誉田別命(第15代応神天皇)。
南北朝時代、土岐頼貞の九男土岐頼重が妻木城を築くと、妻木城の守護神となる。妻木城は暦応2年(1339年)、土岐頼重が築城という説もある。
以降江戸時代初期まで、妻木城城主の妻木氏(明智氏一族)の氏神として崇敬され、文安元年(1444年)と慶長10年(1605年)に再建されている。
妻木氏は江戸時代も旗本としてこの地を治めていたが、万治元年(1658年)に妻木頼次が急死すると、嗣子がいないため断絶となり、妻木城も廃城。当社は地元住民の神社として存続した。
元禄2年(1689年)に社殿が再建される。これが現在の社殿である。明治6年(1873年)に郷社に列し、昭和17年(1942年)に県社に昇格した。
例祭は10月第2日曜日。もともとは10月15日。市の無形民俗文化財に指定されている流鏑馬神事がある。元和9年(1623年)、妻木城主妻木家頼が武運を祈り、馬を1頭奉納したことが始まりだという。
馬の乗り手は小学校4年-6年の小学生6名が行う。当日は陣笠羽織姿で3回、古代衣装で3回の計6回が行われ、参道の約130メートルの坂道を走る。
1回の流鏑馬を終えて元の位置に戻る途中で、馬の乗り手から扇子や鞭が参拝者へ向けて投げられる。この扇子や鞭は縁起物として持ち帰られる。
慶長14年(1609年)に妻木頼久が奉納した絵馬(2面)が伝わり、県の重要文化財に指定されている。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、身体壮健、子育て

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八幡神社(はちまんじんじゃ)は、岐阜県土岐市妻木町にある神社。近代社格では県社。土岐氏ゆかりの神社で、社紋は土岐氏の家紋と同じ「土岐桔梗」である。参拝すれば、御朱印を頂ける。
鎌倉時代末期の元応元年(1319年)、土岐頼貞が氏神として創建した。主祭神は誉田別命(第15代応神天皇)。
南北朝時代、土岐頼貞の九男土岐頼重が妻木城を築くと、妻木城の守護神となる。妻木城は暦応2年(1339年)、土岐頼重が築城という説もある。
以降江戸時代初期まで、妻木城城主の妻木氏(明智氏一族)の氏神として崇敬され、文安元年(1444年)と慶長10年(1605年)に再建されている。
妻木氏は江戸時代も旗本としてこの地を治めていたが、万治元年(1658年)に妻木頼次が急死すると、嗣子がいないため断絶となり、妻木城も廃城。当社は地元住民の神社として存続した。
元禄2年(1689年)に社殿が再建される。これが現在の社殿である。明治6年(1873年)に郷社に列し、昭和17年(1942年)に県社に昇格した。
例祭は10月第2日曜日。もともとは10月15日。市の無形民俗文化財に指定されている流鏑馬神事がある。元和9年(1623年)、妻木城主妻木家頼が武運を祈り、馬を1頭奉納したことが始まりだという。
馬の乗り手は小学校4年-6年の小学生6名が行う。当日は陣笠羽織姿で3回、古代衣装で3回の計6回が行われ、参道の約130メートルの坂道を走る。
1回の流鏑馬を終えて元の位置に戻る途中で、馬の乗り手から扇子や鞭が参拝者へ向けて投げられる。この扇子や鞭は縁起物として持ち帰られる。
慶長14年(1609年)に妻木頼久が奉納した絵馬(2面)が伝わり、県の重要文化財に指定されている。
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