景行期の創祀、雄略天皇が奉納、歴代武将の崇敬、美濃禅定道の中継地
[住所]岐阜県郡上市白鳥町石徹白3-48
[電話]0575-86-3121

白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)は、岐阜県郡上市白鳥町にある神社。白山神社の一つで、近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は菊理媛神で、白山比咩神・白山権現とも。また、伊弉諾尊伊弉冉尊も祀る。

美濃国側の白山への道、白山禅定道ではいわゆる美濃馬場である白山中宮長滝寺(現 長滝白山神社・長瀧寺)から当社を通ることになり、重要な中継地点となる。

言い伝えでは、第12代景行天皇12年の創祀で、第21代雄略天皇9年に護国鎮護のために剣を奉納したと伝えられている。

奈良時代の養老元年(717年)に泰澄大師が社域を拡げ、社殿を修復したという。

平安時代から江戸時代初期にかけて、藤原能信、藤原秀衡、今川義元、柴田秀勝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、数多くの武将の信仰を受けた。

江戸時代には、越前国大野郡石徹白村が白山信仰による白山へ向かう巡礼者への手助けを行い、村人は、当社の社人、社家となり、無税、帯刀御免の身分とされていた。

宝暦4年(1754年)から8年にかけて石徹白騒動が発生。当社神職(神主)の上村豊前が郡上藩寺社奉行根尾甚左衛門と結託し、神頭職杉本左近と村民約500人を石徹白村から追放した。

同時期に発生した郡上一揆とともに幕府評定所の判決が出され、老中の本多正珍が免職、若年寄本多忠央が領地没収、郡上藩藩主金森頼錦が領地没収、お家断絶などの大規模な処分が行われた。

安政3年(1856年)に現本殿が再建された。明治3年(1870年)に村社、明治44年(1911年)には神饌幣帛供進神社に指定され、大正10年(1921年)に昇格した。

昭和33年(1958年)、石徹白村が福井県から越県編入して岐阜県郡上郡白鳥町石徹白となって岐阜県の神社となり、昭和37年(1963年)、本殿の彫刻が県の重要文化財に指定され、金幣社となった。

例祭は5月第3日曜日で、春季例祭。平安時代末期の保安元年(1120年)から伝わる雅楽に合わせ、二人の巫女が5種類の舞を奉納する、市指定重要無形民俗文化財「五段の神楽」が行われる。

境内にある樹齢1000年を超えるとされる「浄安杉」およびブナ原生林が県の天然記念物に指定されている。中居神社本殿の彫刻・能面が県指定重要文化財。

境内社に、いずれも奈良期に創建されたとされる、新嘗社(大日霊貴大神)、皇祖美社(磐長姫大神)、須賀神社(素戔鳴大神)、地造神社(大巳貴之大神)、道祖神社(猿田彦大神)がある。

なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。

【ご利益】
五穀豊穣、大漁満足、開運招福、家内安全、良縁成就など
白山中居神社 - 景行期の創祀、雄略天皇が奉納、歴代武将の崇敬、美濃禅定道の中継地
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白山中居神社の御朱印