社地・社名の変更なく合併も拒否のブレない神社、樹齢1200年の大杉
[住所]岐阜県高山市丹生川町山口字月本145
[電話]-
槻本神社(つきもとじんじゃ)は、岐阜県高山市丹生川町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 飛騨国 大野郡「槻本神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
旧丹生川村に鎮座する。御祭神は大山津見神。相殿に櫛御気野神・建御名方刀美神・八坂刀売神を祀る。別説として、保食神、月元大明神がある。
飛騨国総社である飛騨総社でも大山津見神を合祀しているが、もともとは、槻(ケヤキか?)の大木が御神体である。
『文徳天皇実録』によれば、仁寿元年(851年)に正六位上、『日本三代実録』によれば、貞観9年(867年)に従五位上叙された。飛騨国式内八社の一つ。
平安時代中期の寛平5年(893年)から鎌倉時代中期の建治2年(1276年)まで、およそ400年間の間に8回の昇格があった。
古来、社地や社名の変遷がない。日本有数の神社ならともかく、これは稀有なことと言える。江戸時代の元文5年(1740年)に社殿を改築した。
明治4年(1871年)に郷社に列し、明治6年(1873年)1月に祠官・祠掌を置いた。明治43年(1910年)には神饌幣帛料供進神社に指定されている。
明治期には周辺地域の神社との合併問題が再三持ち上がったが、村人は一貫してこれを拒否し続けたという。
現在の相殿には諏訪神が祀られているので、長い歴史の中で全くの例外がなかったわけではないだろうが、社地・社名の件も含め、ブレない神社である。
樹齢1200年と伝わられるスギも御神木であり、県の天然記念物に指定されている。目通幹周囲6.3メートル、樹高37メートルの大杉。
古代の自然崇拝の時代から神の要域として祀られたもので、隣村坊方の里に陰を映し、旅行く人々は杉を目当てとして歩いたと伝えられる。
もともとの御神木とされるケヤキに囲まれるようにそびえ立つ大杉、これに危害を与えた者はすぐに病死するという言い伝えがある。
例祭は9月12日。境内社に子守神社がある。
【ご利益】
地域・家内安全、旅行・交通安全、リフレッシュ
【関連記事】
・岐阜県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、岐阜県に鎮座している神社の一覧
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槻本神社(つきもとじんじゃ)は、岐阜県高山市丹生川町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 飛騨国 大野郡「槻本神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
旧丹生川村に鎮座する。御祭神は大山津見神。相殿に櫛御気野神・建御名方刀美神・八坂刀売神を祀る。別説として、保食神、月元大明神がある。
飛騨国総社である飛騨総社でも大山津見神を合祀しているが、もともとは、槻(ケヤキか?)の大木が御神体である。
『文徳天皇実録』によれば、仁寿元年(851年)に正六位上、『日本三代実録』によれば、貞観9年(867年)に従五位上叙された。飛騨国式内八社の一つ。
平安時代中期の寛平5年(893年)から鎌倉時代中期の建治2年(1276年)まで、およそ400年間の間に8回の昇格があった。
古来、社地や社名の変遷がない。日本有数の神社ならともかく、これは稀有なことと言える。江戸時代の元文5年(1740年)に社殿を改築した。
明治4年(1871年)に郷社に列し、明治6年(1873年)1月に祠官・祠掌を置いた。明治43年(1910年)には神饌幣帛料供進神社に指定されている。
明治期には周辺地域の神社との合併問題が再三持ち上がったが、村人は一貫してこれを拒否し続けたという。
現在の相殿には諏訪神が祀られているので、長い歴史の中で全くの例外がなかったわけではないだろうが、社地・社名の件も含め、ブレない神社である。
樹齢1200年と伝わられるスギも御神木であり、県の天然記念物に指定されている。目通幹周囲6.3メートル、樹高37メートルの大杉。
古代の自然崇拝の時代から神の要域として祀られたもので、隣村坊方の里に陰を映し、旅行く人々は杉を目当てとして歩いたと伝えられる。
もともとの御神木とされるケヤキに囲まれるようにそびえ立つ大杉、これに危害を与えた者はすぐに病死するという言い伝えがある。
例祭は9月12日。境内社に子守神社がある。
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