稲置の森の子安大明神、安産の神として信仰された、日子坐王妃との関連も
[住所]岐阜県高山市江名子町1290
[電話]0577-33-6195

荏名神社(えなじんじゃ)は、岐阜県高山市江名子町1290にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 飛騨国 大野郡「荏名神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

御祭神は高皇産靈神と荏名大神である。『神名帳考證』では大屋津姫命としている。荏名大神は愛那能御神ともされ、味鋤高日子根命と同神とする説もある。

飛騨国総社である飛騨総社には高皇産靈神が合祀されている。

創建の由諸は不詳である。『延喜式』神名帳に記載のある飛騨国八社のうちの一つだが、後に衰廃し、所在は不明となっていた。

『古事記』の開化天皇の段に「山代之荏名津比売」の文言が見える。

第三皇子日子坐王の妃の一人で、またの名を苅幡戸辨とあり、日子坐王との間に三人の子をもうけている。しかし、当社との関係は不明。

式内社「荏名神社」は、『文徳天皇実録』によれば、仁寿元年(851年)に正六位上、『日本三代実録』によれば、貞観9年(867年)に従五位上に叙された。

中世までは江名子町の稲置(いなき)の森に鎮座する「稲置森子安大明神」と称し、安産の神とされていた。日子坐王の妃とも関連して、女神色が強い。

江戸時代後期の文化12年(1815年)、高山の国学者田中大秀が、この子安大明神を、「荏名」が「胞衣」(胎盤やへその緒)と解されたためだとして、当社を式内社に比定した。

境内には今も残る巨石があり、これも神域を示す証拠とされ、社名を式内社名に改称して再興した。田中大秀は自ら神主となり、当社復興に尽力した。遺作の彫像や八雲文台が現存する。

明治4年(1871年)9月に郷社に列格し、明治40年(1907年)3月、神饌幣帛料供進神社に指定され、戦後は岐阜県神社庁より銀幣社の指定を受けた。

例祭は5月3日。同区域鎮座の諏訪・白山両社の御分霊を伴って氏子内を渡御し、神賑として獅子舞・鶏闘楽がある。

なお、式内社「荏名神社」の論社は他に、やはり江名子町に鎮座する荒神社がある。

【ご利益】
安産、地域・家内安全、身体壮健
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