安積山麓に広がった安積沼の隠津島に奉斎された天候・開拓の神
隠津島神社(福島県郡山市喜久田町堀之内字宮19-1)
[住所]福島県郡山市喜久田町堀之内字宮19-1
[電話]-

隠津島神社(おきつしまじんじゃ)は、福島県郡山市喜久田町にある神社。『延喜式神名帳』にある「隠津島神社(陸奥国・安積郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

旧記や古文書などが多く存したが、江戸時代の嘉永2年(1849年)11月の火災により、その多くが焼失し、焼け残ったわずかな文書が今に伝わる。

それらによれば、岩代国安積郡草々の頃、奈良時代初期と思われるが、当時の街道は安積山の東を走り、その麓には安積沼と呼ばれる大きな沼が大海のように広がり、住民は点在する島々に住んでいた。

その一つが安根が島(現 安子ヶ島)で、その上にあるのが上伊豆島、下を下伊豆島、沖にあるのを隠津島と言った。現存する地名に島の字が付くのはこの名残りである。

島は鬱蒼とした森林と大小の沼や沢で囲まれ、西には安積山が重畳としてそびえ、獣や蛇が多く住み、田畑に害を与え、時には人や家畜まで襲った。

その上日照りや長雨の不順な天候にも悩まされ、住民の恐怖も大きく、その生活は悲惨を極めた。

これを案じた時の国守が命を下して斎場を隠津島に建て、武御雷之男神を奉斎し、地名を冠して現社号と称え、世の平安と五穀豊穣を祈ったのが当社の草創。

現在も残る、冷泉左中将為久卿、烏丸左中将光栄卿の社頭奉納和歌三首もこの時のものと考えられている。以来、神徳顕著で、天候も順調となり住民も増加した。

そこで地域では開拓が進み、まず島の周辺の水を除くために堀割を切って高倉川に通した。これが堀切の地名の起こり。こうして、安積沼も干拓されていく。

早稲原・前田沢・八山田・富田・日和田などの村々の基礎はこの時による。

その後戦乱が続き、都の保護も薄れて、祭事も衰亡し、社殿も老朽化した。江戸時代の貞亨3年(1686年)、これを憂えた安積郡支配所の役人星右馬之丞が改築し、祠として祀った。

元禄11年(1698年)に時の神職が亡くなった後は長い間世継が決まらず、奉仕する者もなくなったが、代わって龍角寺別当が奉仕した。

天保13年(1843年)、二本松藩の儒者服部誼は由緒ある古社が衰退のまま放置されているのを嘆いて、境内に石碑を建立し、氏子による復興に勇気を与えた。

明治維新となり、別当が廃され、当初は大原康治が神職として奉仕したが、明治5年(1872年)8月から松木家が代々奉仕することとなり、現在に至る。

その後、衰微した旧祭典を復活させ、社殿修復に努め、明治29年(1896年)6月11日には郷社に列せられ、明治31年(1898年)9月26日には県社に昇格した。

例祭は、4月3日が春季例祭、10月9日・10日が秋季例大祭。境内社に、愛宕神社・大山祇神社がある。

なお、式内社「隠津島神社」の論社は他に、二本松市木幡郡山市湖南町にそれぞれ同名神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、地域・家内安全、身体壮健、天候祈願
隠津島神社(喜久田町) - 安積山麓に広がった安積沼の隠津島に奉斎された天候・開拓の神
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隠津島神社(喜久田町)の御朱印