天栄村の妙見山山頂にある奈良期創建の古社、御種貸神事や「御竜燈」
[住所]福島県郡山市三穂田町下守屋字飯森山 1
[電話]-
飯豊和気神社(いいとよわけじんじゃ、飯豊和気氣社)は、福島県郡山市三穂田町下守屋の妙見山山頂にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「飯豊和気神社(陸奥国・安積郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
妙見山は飯森山とも呼ばれ、標高770メートル余り。登山道入り口に一の鳥居、少し進むと二の鳥居があり、ここまで車で行ける。その後徒歩だが、30分ほどで山頂に到着する。
五穀養蚕の守護の神として、奈良時代の神亀元年(724年)9月に勧請された。御祭神は御饌津神。保食神・国常立命などの説がある。
『日本紀略』寛平9年(897年)9月7日に「授陸奥国正六位上飯豊和気神社……」と記載があり、神位授けられた。文禄2年(1594年)2月には正一位の宣旨があった。
往古より神威霊験が顕著なため、歴代領主の崇敬が篤かった。寛永13年(1636年)3月に野火のため本殿・拝殿その他附属建物、宝物・社記・古文書などが焼失。
その際、神玉は飛ケ森という所の大樹に飛遷した。神主大河原伊勢守が箱に封入して奉還した。これを稲霊の魂玉と称したという。
その後、会津城主加藤義明が、本殿・拝殿・籠殿などの社殿を再建し、神領200石、神子領20石を寄進した。寛永20年(1643年)、二本松城主丹羽氏領となり、以来神領などは廃される。
元文5年(1740年)2月24日には御幣勧請の宣命があった。
秋の祭典には、甘酒を醸し、桶のまま神殿に供えて、参詣者に授け飲ませ、また御種貸神事として神前に供えた種籾を、信者へ貸し下げ、翌年の祭典に新穀を返納させた。
何種類もの種が交じっていても雑穀とならず、主穀と同一となるという奇妙な現象が確認され、稲霊の御種貸しとして尊ばれた。
明治維新までは、御山祭という祭事があって、領主の二本松城主丹羽家より郡奉行、代官などを参向させ、同領である安積郡内の神官全員が登山し、五穀豊穣・悪疫退散の祈祷を行ったという。
また、早天の時は山下の各村から登山して、降雨祈願をした。
明治30年(1897年)4月1日、再び野火の延焼により社殿が全焼、明治43年(1910年)4月に再建。その後80年あまりを経過、風雪水により浸食されたため、昭和56年(1981年)11月に新築された。
なお、山頂には夜ごとに樹立ちの中の社前に、幾千個の燈光が発現し、神秘であり「御竜燈」と呼ばれて遠近の人々にも知られた。
また、現在も敬神者が遠くから参拝に登山し、特に戦中時までの春祭りには、千数百人の参詣人で大賑わいな山祭りとなったという。
遥拝所が、八雲神社の境内にある。なお、式内社「飯豊和気神社」の論社は他に、本宮市の安達太良神社がある。
【ご利益】
無病息災、五穀豊穣、身体壮健
【関連記事】
・福島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福島県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
飯豊和気神社(いいとよわけじんじゃ、飯豊和気氣社)は、福島県郡山市三穂田町下守屋の妙見山山頂にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「飯豊和気神社(陸奥国・安積郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
妙見山は飯森山とも呼ばれ、標高770メートル余り。登山道入り口に一の鳥居、少し進むと二の鳥居があり、ここまで車で行ける。その後徒歩だが、30分ほどで山頂に到着する。
五穀養蚕の守護の神として、奈良時代の神亀元年(724年)9月に勧請された。御祭神は御饌津神。保食神・国常立命などの説がある。
『日本紀略』寛平9年(897年)9月7日に「授陸奥国正六位上飯豊和気神社……」と記載があり、神位授けられた。文禄2年(1594年)2月には正一位の宣旨があった。
往古より神威霊験が顕著なため、歴代領主の崇敬が篤かった。寛永13年(1636年)3月に野火のため本殿・拝殿その他附属建物、宝物・社記・古文書などが焼失。
その際、神玉は飛ケ森という所の大樹に飛遷した。神主大河原伊勢守が箱に封入して奉還した。これを稲霊の魂玉と称したという。
その後、会津城主加藤義明が、本殿・拝殿・籠殿などの社殿を再建し、神領200石、神子領20石を寄進した。寛永20年(1643年)、二本松城主丹羽氏領となり、以来神領などは廃される。
元文5年(1740年)2月24日には御幣勧請の宣命があった。
秋の祭典には、甘酒を醸し、桶のまま神殿に供えて、参詣者に授け飲ませ、また御種貸神事として神前に供えた種籾を、信者へ貸し下げ、翌年の祭典に新穀を返納させた。
何種類もの種が交じっていても雑穀とならず、主穀と同一となるという奇妙な現象が確認され、稲霊の御種貸しとして尊ばれた。
明治維新までは、御山祭という祭事があって、領主の二本松城主丹羽家より郡奉行、代官などを参向させ、同領である安積郡内の神官全員が登山し、五穀豊穣・悪疫退散の祈祷を行ったという。
また、早天の時は山下の各村から登山して、降雨祈願をした。
明治30年(1897年)4月1日、再び野火の延焼により社殿が全焼、明治43年(1910年)4月に再建。その後80年あまりを経過、風雪水により浸食されたため、昭和56年(1981年)11月に新築された。
なお、山頂には夜ごとに樹立ちの中の社前に、幾千個の燈光が発現し、神秘であり「御竜燈」と呼ばれて遠近の人々にも知られた。
また、現在も敬神者が遠くから参拝に登山し、特に戦中時までの春祭りには、千数百人の参詣人で大賑わいな山祭りとなったという。
遥拝所が、八雲神社の境内にある。なお、式内社「飯豊和気神社」の論社は他に、本宮市の安達太良神社がある。
【ご利益】
無病息災、五穀豊穣、身体壮健
【関連記事】
・福島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福島県に鎮座している神社の一覧
コメント