養蚕の神を祀る会津の古社、樹齢1000年以上の「峰張桜」の下で4月に直会
[住所]福島県会津若松市蚕養町2-1
[電話]0242-37-3166

蚕養国神社(こがいくにじんじゃ、蠶養國神社)は、福島県会津若松市蚕養町にある神社。蠶養宮とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「蚕養国神社(陸奥国・会津郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

御祭神は、保食大神(うけもちのおおかみ)、稚産霊大神(わくむすびのおおかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)。

社伝では、平安時代の弘仁2年(811年)の創建という。会津で養蚕を盛んにしようとする中央の朝廷の政策のためという見解が有力。

背景として、『日本後紀』延暦15年(796年)11月8日条に見える、伊勢・三河・相模・近江・丹波・但馬などの国の婦女2人ずつを陸奥国に遣わして、2年間養蚕技術を教えさせたという記事がある。

御祭神の稚産霊大神は、軻遇突知命埴山姫命の子であり、その頭から蚕が生れた、と言われ、養蚕の祖神となる。

社伝によれば、、承和年間(834年-848年)に陸奥・出羽国按察使兼鎮守府将軍の藤原富士麻呂の奏上により官社に列した。

『延喜式神名帳』では、この蚕養国神社以外に社名を「蚕養国」とする官社はなく、この社名は当社が唯一のものになる。会津郡の式内社は伊佐須美神社と当社のみ。

寛弘7年(1011年)には県令の石部少将道秀らによって社殿が創設された。現存の樹高14メートル、樹齢1000年以上の「峰張桜(みねはりざくら)」はこの際の植樹だという。

その後、兵火により社殿を焼失し、衰退するが、江戸時代になると会津藩初代藩主の保科正之によって復興され、社殿造営と社領20石が安堵された。会津大鎮守六社の一つとした、いわゆる会津六社の一社。

寛保3年(1743年)には神階が正一位に進み、文化4年(1807年)には火災によって社殿を焼失したが、文政2年(1819年)に8代藩主松平容敬によって再建された。

明治維新後、明治9年(1876年)11月に県社に列した。

本殿は皇子造(王子造/熊野造)。他に、幣殿・拝殿・神饌所・神楽殿などがある。拝殿前に「峰張桜」がある。木花之佐久夜比売命が宿るとされるこの御神木は現在、市指定天然記念物。

例祭は8月1日で例大祭。神楽の奉納や、境内には多くの露店が出る。翌2日には氏子町内37ヶ所の御旅所を回る神輿渡御がある。

4月19日は桜花祭・春季大祭で、「峰張桜」を愛でながら直会が行われ、当社奉製の濁酒が振舞われる。

境内社に、五社稲荷神社、鬼渡神社、護忠霊社、宗像神社・瀧直神社、和霊々社がある。

【ご利益】
農・工・商・諸業繁栄、交通安全(公式HP
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蚕養国神社の御朱印