安達太良山と大名倉山の神々を勧請した明神様、10月秋祭りは太鼓台と神輿
[住所]福島県本宮市本宮舘ノ越232
[電話]0243-34-2710

安達太良神社(あだたらじんじゃ)は、福島県本宮市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「飯豊和気神社(陸奥国・安積郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

御祭神は、高皇産靈神神皇産靈神(宇奈己呂別神)、飯豊和氣神(甑明神。式内論社)、飯津比賣神(矢筈明神)、陽日温泉神(剣明神)、彌宜大刀自神(船明神)。

宇奈己呂別神については、同じ安積郡に宇奈己呂和気神社がある。

創建は平安時代の久安2年(1146年)と伝えられ、安達太良山の神々と大名倉山の神々を勧請し、里宮としたことが始まりとされ、氏子達からは明神様と呼ばれている。

安達太良山は、当社から北西15キロにある標高1700メートルの御神体山。社殿は南東向きに設定され、参拝者は安達太良山と正対する形をとる。安達太良山支峰である大名倉山は標高576メートル。

近隣地域に点在する安達太良神社の総本宮であることから、鎮座地の名前が「本目村」から本宮村となったとされ、「本宮」という地名の由来になったとされる。

室町時代の宝徳年間(1449年-1451年)、畠山持清が再興し、後に鹿子田和泉が修復したという。また、江戸時代の寛文9年(1669年)にも再興とある。

神事に、真弓の神事、山鳥の秘事、錦木の故実があり、天正年間(1573年-1593年)まで、春秋の例祭に斎行されたが、当時の舘主・氏家新兵衛の退去後は寄進が絶えたため廃絶。

また、旧安達郡の総鎮守であったが、江戸時代の天和8年(1681年)に二本松熊野宮(現 二本松神社)の神官・鈴木安芸守が異議を申し立て、安達郡総鎮守の称号を剥奪されたことがあった。

異議の内容は、「安達太良神社の祭神は安達太良山の神々ではないので、郡の総鎮守に相応しくない」というもの。当時の宮司高橋治部少輔が郡の神官の取り纏め役「注連頭」の役職を解かれた。

文化3年(1806年)2月16日の大火により、本宮両町はほとんど焼失、本殿・拝殿・神楽殿・宝蔵及び末社まで類焼した。同年9月に假社殿が完成。

文化7年(1810年)3月にも大火があり、当社は類焼を免れたものの、復興の障害となった。しかし、氏子の献身的な寄進などにより、現社殿となるものが文化13年(1816年)に完成、同年9月に遷宮した。

明治2年(1869年)に現社号に改称し、明治8年(1875年)に郷社に列した。大正4年(1915年)に県社に昇格、社務所が建設されたが、それも老朽化のため、昭和56年(1981年)に改築された。

例祭は10月第4金曜日より3日間の秋祭り。旧二本松藩領の地域に伝わる太鼓台が三台出て、神輿渡御に先立って町を練り歩く。

秋祭りは、露店商に頼らず、町民の手で露店を運営する、町独自の形式が昭和53年(1978年)から実施されている。

5月1日には春祭りがあり、本宮市白沢地区の浮島神社の氏子たちが「太々神楽」を奉納する。

境内社に、参道階段脇には、風神社(足尾様)・津島神社(天王様)・金刀比羅神社(こんぴら様)・貴船神社(蛇神様)が、境内右手には、天満宮(天神様)・熊野大神・疱瘡神・大山祇神・稲荷大神・天照皇大神などがある。

なお、式内社「飯豊和気神社」の論社は他に、郡山市三穂田町下守屋の妙見山山頂に鎮座する飯豊和気神社、その遥拝所が八雲神社の境内にある。

【ご利益】
万物生成の神、地域開拓の祖神、産業発展・商売繁昌・家内安全など
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安達太良神社の御朱印