三社の宮・三社常光寺として祭祀され、江戸期には祭礼が賑わう、天神も
豊田白山神社(石川県金沢市三社町7-9)
[住所]石川県金沢市三社町7-9
[電話]076-261-5006

豊田白山神社(とよたしらやまじんじゃ)は、石川県金沢市三社町にある神社。白山神社の一つで、近代社格では村社。天神・天満宮も祀られており、金沢二十五天神めぐり第8番。御朱印の有無は不明。

三社の宮とも呼ばれ、戸板郷七ヶ村の氏神として崇敬された。三社とは、村の中心に白山神(当社)、八幡神、春日神の三神を祀る神社があり、三社村と呼ばれていたため。

明治以前は神仏習合の形をとり長い間、三社常光寺と呼ばれた。祭祀者は天台宗の僧侶で、代々広岡氏の世襲だった。

御祭神は天保12年(1841年)の当社所蔵『三社常光寺明細書』にれば、菊理姫命応神天皇武甕槌神菅原大神、金刀比羅大神、大巳貴神とある。

奈良時代の養老2年(718年)、泰澄大師が石川郡戸板庄に白山三カ明神を勧請し、三社権現としたのが創始とされる。

一方で、白山比咩神社の社僧が中世の後半、兵乱によって地方に四散し、この石川郡戸板郷に白山神霊を勧請して創立したものとの見解もある。

最初の鎮座地は、石川郡戸板郷七カ村の氏神として同郡同郷の西念新保村で、次に広岡村に移り、さらに江戸時代の明暦元年(1655年)に三社村の現在地に移ったという。

三社常光寺は藩政時代金沢町内の有名な神社の一つで、寛文3年(1663年)8月18日の祭礼には多数の群衆が集まったため、殺傷事件まで起きたとも伝わる。

宝永4年(1707年)に社殿の改築が行われ、正徳年間(1711年-1716年)に千年祭が行われた。

明治維新となり、神仏分離令が出されると、三社常光寺から現社号に改称、明治6年(1873年)3月に村社に列した。豊田という名は、戸板郷の戸板を豊田にあてたもの。

それまで安置されていた十一面観音、薬師如来、弥陀如来の三尊仏を金沢市上小川町にある天台宗西養寺に移し、明治9年(1876年)までには仏教色が取り除かれた。

なお西養寺に移した三尊仏のうち、薬師如来像が明治14年(1881年)10月に紛失した。

明治39年(1906年)12月、神撰帛料供進神社に指定され、明治44年(1911年)5月には金沢市古道の村社出雲神社が合祀された。

例祭は現在、5月17日-19日と10月17日-19日の春秋2回行われている。能美市岩本町にある白山七社の一つ岩本神社瀧浪神社などを兼務している。

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豊田白山神社 - 三社の宮・三社常光寺として祭祀され、江戸期には祭礼が賑わう、天神も
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