伊勢を勧請して小伊勢になった式内社、南北朝期の神像4駆など出土
[住所]石川県輪島市小伊勢町丸垣内64
[電話]0768-22-0871 - 輪島前神社
広田神社(ひろたじんじゃ、廣田神社)は、石川県輪島市小伊勢町にある神社。『延喜式神名帳』にある「鳳至比古神社(能登国・鳳至郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
御祭神は、天照大神、表筒男神・中筒男神・底筒男神(住吉三神)、高皇産靈尊、神功皇后、大山咋神、建御名方命。創立年代は不詳。近郷の惣社であったとも伝えられている。
往昔は、日隅の地に鎮座していたが、天文年間(1532年-1555年)に社地・社殿が流出したため、日隅の地より100メートルほど北の現在地に遷祀したという。
日隈の元宮跡を、道路改修で掘り起こした時に、神像4駆が出土した。いずれも南北朝から室町時代初期にかけての奉祀とされる。
また、文明9年(1477年)作の銅板や懸仏一面もあり、神像4駆とともにいずれも現在は市の有形文化財に指定されている。
一説に往古、伊勢国より東・西両氏が来て当地を拓き、伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)・皇大神宮(内宮)を勧請して、字名も御伊勢と称したという。
ただし、本国に恐れて、小伊勢と改称した。現在もその地名を留めている。近郷では、伊勢参宮ができない者が競って当社に参拝したという。
しかし、現在の御祭神に外宮は見えない。当社が式内社であれば、主神は男神のはずであり、伊勢とのつながりは後世のものという可能性もある。
社号は鳳至比古神社と現社号を併称してきたが、後に現社号に改称した。社号からは廣田神社とのつながりが考えられそうだが、そうした論はないようだ。
神事として以前までは七草祭があり、2月7日に斎行していた。神前に七草を供え、三十三鍋を炊いて、氏子一同直会をする。現在は3月7日に変更し、祭典だけを行っている。現在は、輪島前神社の兼務神社。
式内社「鳳至比古神社」の論社は他に、同市内鳳至町の住吉神社、河井町の重蔵神社、深見町の櫟原北代比古神社がある。
【ご利益】
開運招福、無病息災、地域・家内安全
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・石川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、石川県に鎮座している神社の一覧
[電話]0768-22-0871 - 輪島前神社
広田神社(ひろたじんじゃ、廣田神社)は、石川県輪島市小伊勢町にある神社。『延喜式神名帳』にある「鳳至比古神社(能登国・鳳至郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
御祭神は、天照大神、表筒男神・中筒男神・底筒男神(住吉三神)、高皇産靈尊、神功皇后、大山咋神、建御名方命。創立年代は不詳。近郷の惣社であったとも伝えられている。
往昔は、日隅の地に鎮座していたが、天文年間(1532年-1555年)に社地・社殿が流出したため、日隅の地より100メートルほど北の現在地に遷祀したという。
日隈の元宮跡を、道路改修で掘り起こした時に、神像4駆が出土した。いずれも南北朝から室町時代初期にかけての奉祀とされる。
また、文明9年(1477年)作の銅板や懸仏一面もあり、神像4駆とともにいずれも現在は市の有形文化財に指定されている。
一説に往古、伊勢国より東・西両氏が来て当地を拓き、伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)・皇大神宮(内宮)を勧請して、字名も御伊勢と称したという。
ただし、本国に恐れて、小伊勢と改称した。現在もその地名を留めている。近郷では、伊勢参宮ができない者が競って当社に参拝したという。
しかし、現在の御祭神に外宮は見えない。当社が式内社であれば、主神は男神のはずであり、伊勢とのつながりは後世のものという可能性もある。
社号は鳳至比古神社と現社号を併称してきたが、後に現社号に改称した。社号からは廣田神社とのつながりが考えられそうだが、そうした論はないようだ。
神事として以前までは七草祭があり、2月7日に斎行していた。神前に七草を供え、三十三鍋を炊いて、氏子一同直会をする。現在は3月7日に変更し、祭典だけを行っている。現在は、輪島前神社の兼務神社。
式内社「鳳至比古神社」の論社は他に、同市内鳳至町の住吉神社、河井町の重蔵神社、深見町の櫟原北代比古神社がある。
【ご利益】
開運招福、無病息災、地域・家内安全
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