8月の輪島大祭のキリコ祭り、3月に数百年の歴史ある如月祭、朝市通りに産屋
[住所]石川県輪島市河井町4-68
[電話]0768-22-0695
重蔵神社(じゅうぞうじんじゃ)は、石川県輪島市河井町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。産屋の御朱印もある。
『延喜式神名帳』にある「鳳至比古神社(能登国・鳳至郡)」と「辺津比咩神社(能登国・鳳至郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
御祭神は天之冬衣命・大国主命。父子であるが、どちらかと言えば主役は子の大国主命か。社伝によれば、第10代崇神天皇の御代の鎮座とされる。四道将軍の一人、大彦命により、神田を寄進されたと伝わる。
もともとは、重蔵権現・十蔵大権現・重蔵宮とも称せられ、神仏習合した堂塔伽藍が建ち並び、多くの社人・社僧・衆徒が奉仕した。
古来、領主・藩主をはじめ、衆庶の尊崇ただならず、中世には地頭の長谷部氏をはじめ、温井氏(畠山氏家臣)などが社殿を造営した。
平安時代末期の養和元年(1181年)2月、長谷部信連が祈願所と定め、銅瓶武具と柱松明木を奉献する例を定めた。鎌倉時代の永仁4年(1296年)10月、長谷部有連が本殿を再建。
室町時代の応永2年(1395年)9月には本殿修理による遷座式があった。応永11年(1404年)7月、住僧などが大般若経六百巻を書写して献納。応仁3年(1469年)正月、大明神号を称することを許され、重倉大明神と称する。
文明13年(1481年)7月、鳳至郡山田郷に当社を勧請、現在の今蔵神社である。当社と今蔵神社はお互いの祭礼で神饌が供される関係が続いている。大永4年(1524年)5月、温井孝宗が拝殿を建立する。
天正8年(1580年)6月に前田利家が入国すると、天正10年(1582年)には古例にならって武具及柱松明木を奉献した。以後、明治維新に至るまで、前田家の恒例となる。
江戸時代になり、宝永2年(1705年)6月の周囲の石垣を三十六ヶ村の寄進を受けて築造、宝永7年(1710年)6月には藩主より白銀2枚が下賜された。
天和3年(1683年)と天明2年(1782年)の二度にわたって社号争論があり、文政8年(1825年)に終結。もとは重蔵宮と呼ばれたが、近世末期から明治期にかけて、現社号を称するようになった。
明治5年(1872年)9月に郷社に列した。明治期に近隣各社を合祀して、現在、下記の神々を配祀する。
五男三女神の天忍穗耳命・天津日子根命・天之菩卑能命・活津日子根命・熊野久須毘命・多紀理姫命・市杵嶋姫命・田寸津姫命(後3柱は宗像三女神)、表筒男命・中筒男命・底筒男命(住吉三神)、建御名方命、豊受大神、事代主命、大山咋神。
明治33年(1900年)4月には木造菩薩面が旧国宝(現在の重要文化財)に指定され、明治39年(1906年)には本殿が特別保護建造物に指定された。
しかし本殿は、明治43年(1910年)の輪島大火で焼失。その後、旧にもとづいて再建されたのが現在の本殿ならびに拝殿である。大正7年(1918年)、県社に昇格。
平成25年(2013年)8月には重蔵の杜・アート縁日というイベントが行われた。
例祭は8月23日。キリコが回転したりする暴れがあったり、火のついた松明が倒れた時に御幣を奪い合う「日本遺産」キリコ祭りとして知られる、輪島大祭を構成する一つ。
ほど近く、輪島朝市通りの西側の端に産屋(うぶや)がある。もとは当社大祭で町内を練った神輿を一晩、安置する御仮屋(仮宮)があったが、老朽化のため、創設されたもの。縁起の良い御柱参りがある。
当社と、輪島の沖約50キロにある舳倉島の奥津比咩神社は夫婦神であり、当社大祭の8月23日の夜、河井の浜で奥津比咩神社の女神と逢瀬、結婚し、すぐに出産となり、そのために必要になるのが産屋、という設定。
3月に如月祭が斎行される。もとは名称通り旧暦2月に行われていたが、新暦後は月遅れに。記録だけでも室町時代の文明8年(1476年)まで遡れる祭典。
数え年48・49歳の氏子数十人が当組をつくり、3月1日から7日間にわたって古式による行事を営むもので、神に生贄として人身御供をした名残とも、御祭神の大国主命による能登平定の故事にちなむともされる。
2月3日には節分祭がある。近年、「ごもっとも!」と叫び、すりこぎで尻を突くというユニークな神事が復活している。節分・ごもっともといえば三峯神社だが、関連はあるのか。
境内奥に社殿があり、その社殿の前には赤い鳥居の要石が置かれている。「要石」のある神社として有名なのは、鹿島神宮・香取神宮などで、伊賀の大村神社にもある。地震との関わりが深い。
境内社として、金比羅社(大物主神)、秋葉社(加具土神・火産靈神・水波能賣神)、白山社(菊理姫神)、天満宮(菅原道真)、稲荷社(稻荷大神)、子安社(稲田姫神)がある。
なお、式内社「鳳至比古神社」の論社は他に、同市内鳳至町の住吉神社、小伊勢町の広田神社、深見町の櫟原北代比古神社がある。
式内社「辺津比咩神社」の論社は他に、鳳珠郡穴水町の穴水大宮や同能登町の姫瀧神社、輪島市名舟町の白山神社がある。
【ご利益】
地域・家内安全、良縁・縁結び
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・輪島大祭 - 8月下旬の能登キリコ祭り、奥津比咩神社・重蔵神社・住吉神社・輪島前神社
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重蔵神社(じゅうぞうじんじゃ)は、石川県輪島市河井町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。産屋の御朱印もある。
『延喜式神名帳』にある「鳳至比古神社(能登国・鳳至郡)」と「辺津比咩神社(能登国・鳳至郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
御祭神は天之冬衣命・大国主命。父子であるが、どちらかと言えば主役は子の大国主命か。社伝によれば、第10代崇神天皇の御代の鎮座とされる。四道将軍の一人、大彦命により、神田を寄進されたと伝わる。
もともとは、重蔵権現・十蔵大権現・重蔵宮とも称せられ、神仏習合した堂塔伽藍が建ち並び、多くの社人・社僧・衆徒が奉仕した。
古来、領主・藩主をはじめ、衆庶の尊崇ただならず、中世には地頭の長谷部氏をはじめ、温井氏(畠山氏家臣)などが社殿を造営した。
平安時代末期の養和元年(1181年)2月、長谷部信連が祈願所と定め、銅瓶武具と柱松明木を奉献する例を定めた。鎌倉時代の永仁4年(1296年)10月、長谷部有連が本殿を再建。
室町時代の応永2年(1395年)9月には本殿修理による遷座式があった。応永11年(1404年)7月、住僧などが大般若経六百巻を書写して献納。応仁3年(1469年)正月、大明神号を称することを許され、重倉大明神と称する。
文明13年(1481年)7月、鳳至郡山田郷に当社を勧請、現在の今蔵神社である。当社と今蔵神社はお互いの祭礼で神饌が供される関係が続いている。大永4年(1524年)5月、温井孝宗が拝殿を建立する。
天正8年(1580年)6月に前田利家が入国すると、天正10年(1582年)には古例にならって武具及柱松明木を奉献した。以後、明治維新に至るまで、前田家の恒例となる。
江戸時代になり、宝永2年(1705年)6月の周囲の石垣を三十六ヶ村の寄進を受けて築造、宝永7年(1710年)6月には藩主より白銀2枚が下賜された。
天和3年(1683年)と天明2年(1782年)の二度にわたって社号争論があり、文政8年(1825年)に終結。もとは重蔵宮と呼ばれたが、近世末期から明治期にかけて、現社号を称するようになった。
明治5年(1872年)9月に郷社に列した。明治期に近隣各社を合祀して、現在、下記の神々を配祀する。
五男三女神の天忍穗耳命・天津日子根命・天之菩卑能命・活津日子根命・熊野久須毘命・多紀理姫命・市杵嶋姫命・田寸津姫命(後3柱は宗像三女神)、表筒男命・中筒男命・底筒男命(住吉三神)、建御名方命、豊受大神、事代主命、大山咋神。
明治33年(1900年)4月には木造菩薩面が旧国宝(現在の重要文化財)に指定され、明治39年(1906年)には本殿が特別保護建造物に指定された。
しかし本殿は、明治43年(1910年)の輪島大火で焼失。その後、旧にもとづいて再建されたのが現在の本殿ならびに拝殿である。大正7年(1918年)、県社に昇格。
平成25年(2013年)8月には重蔵の杜・アート縁日というイベントが行われた。
例祭は8月23日。キリコが回転したりする暴れがあったり、火のついた松明が倒れた時に御幣を奪い合う「日本遺産」キリコ祭りとして知られる、輪島大祭を構成する一つ。
ほど近く、輪島朝市通りの西側の端に産屋(うぶや)がある。もとは当社大祭で町内を練った神輿を一晩、安置する御仮屋(仮宮)があったが、老朽化のため、創設されたもの。縁起の良い御柱参りがある。
当社と、輪島の沖約50キロにある舳倉島の奥津比咩神社は夫婦神であり、当社大祭の8月23日の夜、河井の浜で奥津比咩神社の女神と逢瀬、結婚し、すぐに出産となり、そのために必要になるのが産屋、という設定。
3月に如月祭が斎行される。もとは名称通り旧暦2月に行われていたが、新暦後は月遅れに。記録だけでも室町時代の文明8年(1476年)まで遡れる祭典。
数え年48・49歳の氏子数十人が当組をつくり、3月1日から7日間にわたって古式による行事を営むもので、神に生贄として人身御供をした名残とも、御祭神の大国主命による能登平定の故事にちなむともされる。
2月3日には節分祭がある。近年、「ごもっとも!」と叫び、すりこぎで尻を突くというユニークな神事が復活している。節分・ごもっともといえば三峯神社だが、関連はあるのか。
境内奥に社殿があり、その社殿の前には赤い鳥居の要石が置かれている。「要石」のある神社として有名なのは、鹿島神宮・香取神宮などで、伊賀の大村神社にもある。地震との関わりが深い。
境内社として、金比羅社(大物主神)、秋葉社(加具土神・火産靈神・水波能賣神)、白山社(菊理姫神)、天満宮(菅原道真)、稲荷社(稻荷大神)、子安社(稲田姫神)がある。
なお、式内社「鳳至比古神社」の論社は他に、同市内鳳至町の住吉神社、小伊勢町の広田神社、深見町の櫟原北代比古神社がある。
式内社「辺津比咩神社」の論社は他に、鳳珠郡穴水町の穴水大宮や同能登町の姫瀧神社、輪島市名舟町の白山神社がある。
【ご利益】
地域・家内安全、良縁・縁結び
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