佐野集落と九谷焼の発祥地、前田利常が自ら祭儀を執行した式内社
[住所]石川県能美市佐野町ノ88-2
[電話]0761-22-4543 - 須天熊野神社

狭野神社(さのじんじゃ)は、石川県能美市佐野町にある神社。『延喜式神名帳』にある「狭野神社(加賀国・能美郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は、素盞嗚尊天照大神豊受大神。『神社覈録』に「狹野神社、狹野は假字也、祭神狹野尊歟、在所詳ならず」とあり、『日本紀(神代・下)』に「一書曰狹野尊亦日本磐余彦尊云々」などとある。

宮崎県西諸県郡高原町に同名神社があり、初代神武天皇の生誕地とされる神社があるが、これとの関連か。

現在は、大己貴命も祀られているようで、出雲系と伊勢系という括りもされる。佐野集落の発祥の地に鎮座し、数多くの末社があり、その創立以来、長らく社司や別当もいて全国的にも知られていたという。

狹い谷間の野原の奥にあったために狹野の社と呼ばれ、佐野の地名の起こり。平安時代の嘉祥3年(850年)12月8日、文徳天皇の即位の際の恩典として正六位上を賜った。

やがて当地住民は農耕に便利な八丁川沿岸と鍋谷川沿岸に移住。嘉元元年(1303年)に南禅寺領となって、その管轄の政所が置かれた。その後南北の両佐野が合体し、現在地へ遷座した。

江戸期には、加賀藩第2代藩主前田利常の崇敬が格別厚く、正保元年(1645年)4月2日に当社に参拝、武運長久と国家安寧を祈願し、翌年には自ら祭主となって祭儀を挙行した。

明治35年(1902年)5月に県社に昇格し、同年12月29日に神饌幣帛供進神社に指定された。明治40年(1907年)4月に末社神田神社を合祀。

大正13年(1924年)9月に拝殿を改築し、昭和50年(1975年)8月に本殿・幣殿・社務所を改築造営した。

例祭は5月1日で、春季大祭・春秋例大祭。神輿渡御、獅子舞、踊などがある。

目まわり周囲21尺、地上5尺の所で4本の大枝に別れていて樹齢350年あまりという椎の大樹がある。松・スギなどの社叢が町の天然記念物に指定されている。

釉薬の源土を発見し、九谷焼の元祖である陶祖斉田道開が佐野窯を創始した跡とされる九谷窯跡があり、境内には陶祖神社がある。当社例祭後の5月3日-5日には茶碗祭りがある。

境内には、石造りの神馬がある制作年月と石工は不詳だが、古代から存在するとされる。百度墳は昔、丑の刻参りの起点とされたもの。

神苑として、当社の前方と左右にあって、五穀豊穣を祈願する御食津山と、当社後方にあり、東南を遠望すれば白山の霊峰を拝み、北には古墳地和田山が見える神楽山がある。神田山・お守り山・雉の山の神域三山とも。

現在は、須天熊野神社が兼務している。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、開運招福、縁結び
狭野神社(能美市) - 佐野集落と九谷焼の発祥地、前田利常が自ら祭儀を執行した式内社
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狭野神社(能美市)の御朱印