継体天皇の時代に京の中賀茂の宮を遷座、上賀茂神領42カ所の一つ
[住所]石川県かほく市横山リ−119−1
[電話]076-285-0365
賀茂神社(かもじんじゃ)は、石川県かほく市横山にある神社。『延喜式神名帳』にある「賀茂神社(加賀国・加賀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
横山賀茂神社とも。通称は賀茂大宮。御祭神は、賀茂別雷神。貴布禰神を配祀し、大正5年(1916年)、横山の産土で無格社の神明社(天照大神)を合祀した。
当社の資料における初見は、第30代敏達天皇2年圭田57束を奉りなどとあるもの。創建は不詳だが、相当に古くから奉斎されていた。
金津庄(高松町・七塚町・宇ノ気町)の総氏神。一説には、第26代継体天皇の時代に京都の中賀茂の宮を北陸道の総鎮守として御所村に遷座したという。
京には上賀茂・下鴨の両賀茂神社があるが、一般的には「中」は確認されていない。古くは、上賀茂神領四十二カ所の中の一つだったこともあり、上賀茂神社を勧請したものか。
奈良時代の天平勝宝5年(753年)に加茂、平安時代に入って、大同元年(806年)に鉢伏、翌大同2年(807年)には神託を受けて現在地に遷座した。大同4年(809年)、配祀神の貴布禰神を勧請。
平城天皇の祈願所として6200歩余の寄進を受け、醍醐天皇の延喜5年(905年)には360町歩の田地を賜り、十二坊三神主をつけ置かれたという。
式内社「賀茂神社」の論社だが、他に論社としては、金沢市御所町の加茂神社、河北郡津幡町加茂の加茂神社、かほく市鉢伏の当社摂社である閣地神社がある。
御所町の神社は当社創始の地か。また加茂・鉢伏にある各社が当社の古社地となるという。
安土桃山時代になり、天正11年(1583年)に前田利家が羽柴秀吉の命を受け、下鴨神社に当庄十ヶ村を寄進した。
翌天正12年(1584年)、末森城の戦い(末森の合戦)の兵火にかかり、社殿をはじめ古文書や、源頼朝からの寄進などを含む宝物その他が焼失する。
江戸時代に入り、万治元年(1658年)になって本殿や拝殿などを再建。これらが現存する。当時は末社34社を数えたという。
正徳年間(1711年-1716年)、加賀藩第4代藩主前田綱紀により、境内地として一町二反十三歩を寄進された。
明治5年(1872年)に郷社に列し、明治14年(1881年)には県社に昇格。明治39年(1906年)に神饌幣帛料供進神社に指定された。昭和6年(1931年)、北陸鎮座1400年祭を執行した。
【ご利益】
厄除け、方除け、開運招福
【関連記事】
・石川県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
・石川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、石川県に鎮座している神社の一覧
[電話]076-285-0365
賀茂神社(かもじんじゃ)は、石川県かほく市横山にある神社。『延喜式神名帳』にある「賀茂神社(加賀国・加賀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
横山賀茂神社とも。通称は賀茂大宮。御祭神は、賀茂別雷神。貴布禰神を配祀し、大正5年(1916年)、横山の産土で無格社の神明社(天照大神)を合祀した。
当社の資料における初見は、第30代敏達天皇2年圭田57束を奉りなどとあるもの。創建は不詳だが、相当に古くから奉斎されていた。
金津庄(高松町・七塚町・宇ノ気町)の総氏神。一説には、第26代継体天皇の時代に京都の中賀茂の宮を北陸道の総鎮守として御所村に遷座したという。
京には上賀茂・下鴨の両賀茂神社があるが、一般的には「中」は確認されていない。古くは、上賀茂神領四十二カ所の中の一つだったこともあり、上賀茂神社を勧請したものか。
奈良時代の天平勝宝5年(753年)に加茂、平安時代に入って、大同元年(806年)に鉢伏、翌大同2年(807年)には神託を受けて現在地に遷座した。大同4年(809年)、配祀神の貴布禰神を勧請。
平城天皇の祈願所として6200歩余の寄進を受け、醍醐天皇の延喜5年(905年)には360町歩の田地を賜り、十二坊三神主をつけ置かれたという。
式内社「賀茂神社」の論社だが、他に論社としては、金沢市御所町の加茂神社、河北郡津幡町加茂の加茂神社、かほく市鉢伏の当社摂社である閣地神社がある。
御所町の神社は当社創始の地か。また加茂・鉢伏にある各社が当社の古社地となるという。
安土桃山時代になり、天正11年(1583年)に前田利家が羽柴秀吉の命を受け、下鴨神社に当庄十ヶ村を寄進した。
翌天正12年(1584年)、末森城の戦い(末森の合戦)の兵火にかかり、社殿をはじめ古文書や、源頼朝からの寄進などを含む宝物その他が焼失する。
江戸時代に入り、万治元年(1658年)になって本殿や拝殿などを再建。これらが現存する。当時は末社34社を数えたという。
正徳年間(1711年-1716年)、加賀藩第4代藩主前田綱紀により、境内地として一町二反十三歩を寄進された。
明治5年(1872年)に郷社に列し、明治14年(1881年)には県社に昇格。明治39年(1906年)に神饌幣帛料供進神社に指定された。昭和6年(1931年)、北陸鎮座1400年祭を執行した。
【ご利益】
厄除け、方除け、開運招福
【関連記事】
・石川県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
・石川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、石川県に鎮座している神社の一覧
コメント