日田日隈山に鎮座、後醍醐天皇・楠木正成と、春日神を祀る、松方神社跡も
[住所]大分県日田市庄手601
[電話]-
日隈神社(ひのくまじんじゃ)は、大分県日田市庄手にある神社。三隈三山(日田三丘)の一つで、日隈山と呼ばれる小高い丘に鎮座する。日の隈神社とも。御朱印の有無は不明。
市の中央を西に流れる三隅川と隈川を周囲をめぐらす庄手の日隈山は、姿が亀に似ていることから亀翁山とも呼ばれ、現在、亀山公園として整備されている。山全体に数百年の樹齢を持つシイ・イチガシ・ムクなどの老樹が繁る。
当社から見て北北東に月隈神社のある月隈山が、西北西に星隈神社がある星隈山があり、三隈三山を構成する。日隈山からは、紀元100年ごろの後漢時代初期の漢鏡やその他数点の遺物が検出している。
もとは天正年間(1573年-1593年)以前に郡領の大蔵永興が創祀した健御賀豆智命・伊波比主命・天之子八根命・比賣神を祀る春日神社(春日祠)が鎮座していた。
日隈山には、文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の家臣宮木長次郎が日隈城を築城した。現在もその城塁が残る。
江戸時代になり、慶長6年(1602年)3月に領主毛利伊勢守高政の城代・隼人佐長世法師により、田島村の若八幡神社の相殿に遷祀され、350年後の安政3年(1856年)7月、再びこの日隈山に鎮座した。
明治元年(1868年)、神仏分離令により、初代日田県知事松方正義は日田郡光岡村の松陽山岳林永昌寺に安置されていた後醍醐天皇(尊治天皇)、湊川大神(楠正成命)の2柱を祀る社を創建し、日の隈神社とした。
九州において、楠正成公を祀ってある七社の神社の中で、当社は最高の社格を有していたという。
社殿には、西郷隆盛の書いた「日隈神社」の神額や、大久保利通が書いた「龜翁山」の額がある。大正9年(1920年)9月、日隈山の古社である春日神社が日の隈神社に合祀され、現在に至る。
松方正義は日田郡民により、大正13年(1924年)、当地に生祠が設けられ、松方神社と呼ばれた。戦後解体されたが、現在も跡地が残る。
その社殿は本庄町天満宮へ、鳥居は中ノ島大釣稲荷神社へ、玉垣は日ノ隈町水天宮へそれぞれ移されたという。松方正義がかかわった神社としては、別府市の波止場神社などがある。
【ご利益】
諸願成就
【関連記事】
・大分県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大分県に鎮座している神社の一覧
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日隈神社(ひのくまじんじゃ)は、大分県日田市庄手にある神社。三隈三山(日田三丘)の一つで、日隈山と呼ばれる小高い丘に鎮座する。日の隈神社とも。御朱印の有無は不明。
市の中央を西に流れる三隅川と隈川を周囲をめぐらす庄手の日隈山は、姿が亀に似ていることから亀翁山とも呼ばれ、現在、亀山公園として整備されている。山全体に数百年の樹齢を持つシイ・イチガシ・ムクなどの老樹が繁る。
当社から見て北北東に月隈神社のある月隈山が、西北西に星隈神社がある星隈山があり、三隈三山を構成する。日隈山からは、紀元100年ごろの後漢時代初期の漢鏡やその他数点の遺物が検出している。
もとは天正年間(1573年-1593年)以前に郡領の大蔵永興が創祀した健御賀豆智命・伊波比主命・天之子八根命・比賣神を祀る春日神社(春日祠)が鎮座していた。
日隈山には、文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の家臣宮木長次郎が日隈城を築城した。現在もその城塁が残る。
江戸時代になり、慶長6年(1602年)3月に領主毛利伊勢守高政の城代・隼人佐長世法師により、田島村の若八幡神社の相殿に遷祀され、350年後の安政3年(1856年)7月、再びこの日隈山に鎮座した。
明治元年(1868年)、神仏分離令により、初代日田県知事松方正義は日田郡光岡村の松陽山岳林永昌寺に安置されていた後醍醐天皇(尊治天皇)、湊川大神(楠正成命)の2柱を祀る社を創建し、日の隈神社とした。
九州において、楠正成公を祀ってある七社の神社の中で、当社は最高の社格を有していたという。
社殿には、西郷隆盛の書いた「日隈神社」の神額や、大久保利通が書いた「龜翁山」の額がある。大正9年(1920年)9月、日隈山の古社である春日神社が日の隈神社に合祀され、現在に至る。
松方正義は日田郡民により、大正13年(1924年)、当地に生祠が設けられ、松方神社と呼ばれた。戦後解体されたが、現在も跡地が残る。
その社殿は本庄町天満宮へ、鳥居は中ノ島大釣稲荷神社へ、玉垣は日ノ隈町水天宮へそれぞれ移されたという。松方正義がかかわった神社としては、別府市の波止場神社などがある。
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