由布岳の南西麓にある金鱗湖畔に鎮座、龍神と清水が湧き出る境内
[住所]大分県由布市湯布院町川上
[電話]0977-84-3111

天祖神社(てんそじんじゃ)は、大分県由布市湯布院町にある神社。豊後富士とも称される標高1583メートルの由布岳の南西麓にある金鱗湖の南東ほとりに鎮座し、金鱗湖の中に鳥居がある。御朱印の有無は不明。

御祭神は、天之御中主神素盞鳴男命軻遇突智命事代主命大物主神を合祀している。第12代景行天皇12年、豊後国速見郡に住む速津媛に勅して皇祖神霊を祀ったことが始まり。

現在、中央に天祖神、向かって右に八坂神社、左方に金比羅神社を祀っている。金鱗湖に浮かぶ鳥居は、かつて佛山寺にあった金毘羅宮のもので、明治の神仏分離政策によって現在地に移された。

由布岳から地下水脈を通り、自然濾過された清水が境内の左右から滾々と湧き出ており、金鱗湖に流れ込んでいる。手水舎もその水が活用されている。

由布岳の女神である宇奈岐日女神は、力自慢の道臣命(蹴裂権現)に命じ、西の湖壁を蹴破らせ、湖水を奔流させると、やがて湖底から現在の盆地が現れた。宇奈岐日女神社の伝承で、その末社には大杵社もある。

この時、湖底に棲んでいた一匹の大きな龍は、急激に湖水が減少したため神通力を失ってしまい、身を悶えながら小川を這い上がり、天祖神に懇願した。
私は、長い間この湖に住んでいた龍です。この地に少しばかりの安住の地を与えてください。そうすれば、ここに清水を湧き出させ、永くこの地を護りましょう
この願いを聞き入れた天祖神は、「岳本の池」あるいは「岳ん下池」、つまり現在の金鱗湖が残された。龍も約束を守り、当社から清水が滾々と湧き出るのは、この龍神によるものとされる。

安土桃山時代の慶長3年(1596年)7月、いわゆる慶長の豊後大地震で、この湖は縮小し、現在の大きさになったという。周囲約400メートル、最深部約2メートル。

明治17年(1884年)に、儒学者の毛利空桑がこの地を訪れ、湖面から飛び跳ねた魚の鱗が夕陽に照り映え金色に輝くのを見て、金鱗湖と命名したと伝わる。

地底深部からも清水とともに温泉が湧き出ており、その温度差のために冬の早朝には湖面から霧が立ち上り、幻想的な光景が醸し出される。

現在は観光地として知られるが、何年か前までは朝夕、村人たちが浄水を汲んで背負って帰る姿が当たり前のように見られた。地元である温湯地区の子供達の遊び場でもある。

境内にはスギの御神木があり、市の天然記念物に指定されている。

【ご利益】
健康長寿、病気平癒、リフレッシュ
天祖神社(由布市) - 由布岳の南西麓にある金鱗湖畔に鎮座、龍神と清水が湧き出る境内
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