社裏の岩山・仙の嶽と自然林相が有名、御嶽神楽が伝わる古社
[住所]大分県豊後大野市清川町字田枝
[電話]0974-35-2111

御嶽神社(おんだけじんじゃ)は、大分県豊後大野市清川町にある神社。御嶽山山頂に鎮座し、社裏の岩山は標高568メートルの仙の嶽(仙ノ嶽、万ノ嶽)と呼ばれ、社は良好な自然林相がある。御嶽宮とも。御朱印の有無は不明。

室町時代の宝徳元年(1449年)、豊後国守護の大友氏14代大友親隆が島津氏と日向で戦った時、行縢山(行縢神社)に戦勝を祈願した。凱旋後、御嶽山山頂に奉斎した。

御祭神は国常立尊(土地の神)、彦火火出見命(山の神)、少彦名命(薬の神)の3柱。勝負の神として、近郷の人々から信仰されている。

大友氏の滅亡後、岡藩主中川氏の祈願所五山の一つとして、厚い肥後を受けた。社殿は、天正13年(1585年)、安政6年(1859年)、大正6年(1915年)の三度焼失している。

仙の嶽は鉄鎖を伝って登る。社殿裏から5分ほどで頂上に到着する。この山に向けて八方鳥居が建てられていおり、当社の御神体と考えられている。

険しい岩肌には、土佐ミツバツツジが自生し、3月から4月にかけて、赤紫の花をつける。嶽上からは大野郡、竹田市、直入郡が一望でき、遠く別府湾まで望める。

その原生林は縮小されてはいるものの、中部・西南部日本のスダジイ群団の代表的なもので、熊本県市房山抜川神社林、阿蘇北向山国有林と並ぶ三大常緑広葉樹林の一つ。

御嶽神楽が伝わる。御嶽流神楽とも。国の重要無形民俗文化財。創建間もなくから500年以上の歴史があるともされるが、その起源に関する確実な資料は江戸時代の元和3年(1617年)に神楽踊とある。

当社神主加藤家の第18代加藤長古(1739年-1814年)が、現在に伝わる神楽の創始者とされる。しかし、安永7年(1778年)に岡藩から神仏事簡素令が出て、神楽踊は一時廃絶。

その後、加藤長古は太神楽・太々神楽と呼ばれる、新しい神楽を生み出し、大野町の上津神社・朝地町の深山神社にも伝わり、御嶽流・浅草流・深山流などの流派が生じた。

現在、県内ではこれらの流派を「大野系岩戸神楽」と総称している加藤長古翁の墓所は、清川町宇田枝に今も存在し、御嶽神楽座の手により今でも手厚く守られている。

【ご利益】
健康長寿、病気平癒、勝運
御嶽神社(豊後大野市) - 社裏の岩山・仙の嶽と自然林相が有名、御嶽神楽が伝わる古社
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