1300年前に神が顕現した古社、平家の落人・かっぱ楽と「千年杉の根くぐり」
[住所]大分県中津市耶馬溪町大字宮園363
[電話]0979-56-2309

雲八幡宮(くもはちまんじんじゃ)は、大分県中津市耶馬溪町にある神社。雲八幡神社とも。八幡神を祀る八幡宮・八幡神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は雲八幡大神(くものやはたのおおかみ)と総称される八幡大神と大山積神、相殿に妙見大神(みょうけんおおかみ)、つまり天御中主神を祀る。

境内を流れる小川の下流、約500メートルに「雲石」がある。この石から七色に輝いて立ちのぼる雲の中から、飛鳥時代の大宝3年(703年)、童形の神が顕現したと伝わる。

この石はいわゆる磐座で、「雲のやしろ」として祀られた。当社殿が整備される以前、古代の祭祀場として奉斎され、当社の元宮となっている。

雲石に神が顕現してから270年後、平安時代の天延元年(937年)、都から左遷された少納言清原正高により、現在地に鎮座した。

通称「千年杉」とよばれる雲を突くような杉木立がある。古来この地は「雲の森」と呼ばれ、古歌に次のように歌われ、現在、境内に明治の能筆家小野鵝亳の碑が立っいる。
村雨の けさも行き来の 雲の森 いくたび秋の こずえ染むらむ
江戸時代になり、細川忠興、小笠原長次ら歴代藩主が崇敬した。元禄11年(1698年)、当地が幕府直轄の「天領」となってからは日田の代官所の支配となった。

悪代官だったとも伝えられる岡田庄大夫俊惟が寛保4年(1744年)に奉納した石灯籠が残っている。

明治維新になり、廃藩置県の前年(明治3年、1870年)、藩政最後の当地の藩知事、いわゆる対馬の殿様である宗重正が藩民の繁栄を祈願して奉納した手水鉢が残る。

昭和12年(1937年)、鎮座1000年を迎え、現在も明治神宮甘露寺宮司揮毫の御鎮座1000年記念の碑が境内に残る。

平成15年(2003年)には、大神顕現1300年を迎え、前夜祭には雅楽コンサートで先の古歌を盛り込んだ創作神楽「神杉の舞」が披露され、当日祭には稚児行列などの御神幸があった。

平成16年(2004年)の台風で御神木「千年杉」が折れた。その後も生き続けるが、平成22年(2010年)9月15日、惜しまれつつ伐採された。

その後、御神木のなくなった後の境内整備が進められ、千年杉の根が覆屋に収まり、健康長寿などを祈願する「千年杉の根くぐり」として新たなパワースポットになっている。

千年杉の他、境内には樹高30メートル・目通り幹囲5.7メートル、推定樹齢200年の大イチョウがある。

例祭は7月29日。おんばらい祭で、カッパの霊を鎮める神事があり、「河童楽(かっぱ楽)」という珍しい鎮魂の楽が奏される。境内には狛犬ならぬ、あ・うんの狛かっぱが安置されている。

源平の合戦に敗れた平家の人々が九州各地に散り散りになって逃れたものの、源氏の追っ手に次々と討たれ死んだ。

平和な村は血に染まり、討たれた落人の恨みは河童(かっぱ)と化して田畑を荒らし、人や牛を川に引きずり込むなどの悪さをしたという。

かっぱ楽はその河童たち即ち平家の落人の霊魂を鎮めるために始められ、今や300年以上の伝統を誇る。やがて河童の神通力によって五穀豊穣、無病息災、所繁盛の霊験あらたかな音楽となったという。

隣接する文化館「和カフェ・雲の森」では、雅楽の生演奏を聴くことができ、春や秋には様々な企画展なども行っている。

【ご利益】
五穀豊穣・無病息災・厄災除け・諸願成就(公式HP
雲八幡宮 - 1300年前に神が顕現した古社、平家の落人・かっぱ楽と「千年杉の根くぐり」
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雲八幡宮の御朱印