藩主が海に流した神が再顕現して大新田に鎮座、2年に1度の大名行列
[住所]大分県中津市大新田741
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白髭神社(しらひげじんじゃ)は、大分県中津市大新田にある神社。近代社格では郷社。御祭神は、猿田彦命大己貴命少彦名命御朱印の有無は不明。

中津藩7代藩主で、奥平氏としては初代にあたる奥平昌成(1694年-1746年)は城中に白髭神を奉斎していた。天然痘治療にご利益があるとされていた。

昌成の子が重い天然痘を患い、大変苦しんだため、昌成は白髭神に日夜祈願したが、その甲斐なく、子は病死し、悲しんだ昌成は白髭神を海に流してしまった。

その後、参勤交代で江戸に上る途中、三田尻(山口県)に宿泊した際、昌成は夢に白髭神が海に漂っているをの見、うなされ。「中津付近の世公也地におとどまりください」と叫んだという。

後日、是則の広光憶楽という神官の夢に、大新田の沖より白髭神が呼んでいる姿が現れ、翌日大新田の浜まで行くと、沖までずっと干上がり光輝くものが見えた。

急いで走り寄り、取り上げ白衣でつつみ抱き帰って、大新田の地に奉斎した。これが当社の創建となる。

一説では、創建について、奥平氏以前に当地を治めていた小笠原氏の時代(寛永9年(1632年)-享保元年(1716年))までさかのぼると見る向きもある。

例祭は9月。2年に1度、西暦奇数年に大名行列が行われる。これは、明治の廃藩置県で、旧藩主奥平氏が東京へ移住する際、大名行列用の様々な品物を当社に寄贈したことによる。

17時に神事が行われ、その後、大名行列が大新田を東西に練り歩き、22時ごろ神社に戻る。子どもから大人まで参加して、無病息災が祈願される。

傘鉾御供は、まず神社旗、毛槍、先祓、伴侍、挟み箱、籠、弓・鉄砲・徒士・小姓の子若の西組・中組・横丁組・徳永組・東組・西中組、傘鉾、賽銭箱、子供神輿、賽銭箱、神輿、宮司となる。

本殿扁額は宇佐神宮宮司従三位男爵宇佐公熙(到津)謹書。境内社に、天満宮・稲荷社がある。

【ご利益】
病気平癒、無病息災、海上・交通安全、水難除け
白髭神社(中津市) - 藩主が海に流した神が再顕現して大新田に鎮座、2年に1度の大名行列
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