大分県の発祥? 往時は豊後国一宮ともされた、境内に南北朝期の石塔が現存
[住所]大分県大分市大字羽田字宮田
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大分社(おおいたしゃ)は、大分県大分市羽田にある神社。近代社格では郷社。大分大明神、西寒田大分大明神とも。御朱印の有無は不明。

御祭神は大分君稚臣、及び大分氏の始祖とされる第12代景行天皇の皇子豊門別命。豊門別命は『古事記』に日向国造の祖とある豊国別王か。大分君は「おおきたのきみ」とも。

大分という県名の由来については、景行天皇が当地を訪れた時に田んぼが広がっていたのを見て「多き田かな」と言ったこととする説がある。当社号とのつながりも指摘され、「大分発祥」とも考えられる。

稚臣は天武天皇元年(672年)に起きた壬申の乱で功績を挙げた人物で、当社はその死後に武勲を讃えるために創建されたとも言う。

初め六坊村(現 上野ヶ丘)に鎮座したが、平安時代の貞観11年(869年)に下郡滝尾山神ヶ迫に遷座した。

中世以降は豊後国守護であった大友氏の崇敬を受け、一時は豊後国一宮ともされた。境内には南北朝時代の康安4年(1365年)の銘がある大友氏が奉納した石塔が残っている。

しかし、柞原八幡宮が豊後国一宮とされるようになると次第に衰微した。別名の西寒田大分大明神からは、現在は柞原八幡宮とともに豊後国一宮とされ、西寒田大神を祀る西寒多神社との関連もうかがえる。

天正2年(1574年)には大友宗麟が社殿を再興しているが、その前にも荒廃した様がうかがえる。

天正14年(1586年)の島津氏の兵火で再度焼失後、江戸時代になって、明暦3年(1657年)に現在地に遷座した。大正14年(1925年)には郷社に列せられた。

当社に伝わる羽田神楽は、市の選択無形民俗文化財に選択されている。平成26年(2014年)には121年ぶりに神楽殿が建て替えられた。

参道両脇の狛犬はデフォルメされた個性的なもので、拝殿前の狛犬も特徴的であり、外にも崩れた逆立ち狛犬などがある。

境内入口の鳥居をくぐってすぐ右手に大将軍社がある他、本殿裏手に、猿田彦大神・青筵神社・宮地嶽神社・金刀比羅神社・天満社・秋葉神社・生目神社・龍王神社・竹内社がある。

境内東側に庚申塔や青面金剛像、猿田彦像などがまとめて安置されている。

【ご利益】
地域・家内安全、五穀豊穣・商売繁盛
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