キリシタンの弾圧を受けても村民が祭祀を継続、江戸期の社殿が現存
[住所]大分県速見郡日出町2831‐1
[電話]0977-72-3217

日出若宮八幡神社(ひじわかみやはちまんじんじゃ)は、大分県速見郡日出町にある神社。近代社格では県社。日出町の鎮守として崇敬されている。御朱印の有無は不明。

御祭神は、大雀命足仲彦命息長足姫命誉田別命大山守命宇治皇子市杵島姫命。市杵島姫命以外は、『古事記』中巻のフルキャストとも呼べる顔ぶれ。

創建は、平安時代の天徳3年(959年)。郡司清原高秀が津島大明神より2神を勧請したことによる。

津島大明神は八津島宮、八津島神社のことか。であれば、もともとは市杵島姫命と現在は不明のもう1柱が主神となる。また、八幡でこれだけの顔ぶれなのに、武内宿禰が祀られていないことも、同社と関係があるか。

天徳4年(960年)、大神郷司緒方惟季が山城国の石清水八幡宮を勧請して現在地に社殿を建てて、日出、津島、川崎の三ヶ村の産土神に奉じた。

鎌倉時代の建久7年(1196年)には、豊後国守護職の大友能直が社殿を新営し、社領を寄進している。

安土桃山時代の文禄3年(1594年)、キリシタンであった毛利兵橘重政が代官として着任すると、社殿を破棄し、御神体を投棄。しかし、村民たちが御神体を秘かに引き上げ、祭祀を続けたという。

江戸時代になり、日出藩初代藩主木下延俊が入国すると、慶長7年(1602年)、破壊された社殿を再建、御神体を迎えて盛大な例祭を行い、復興を遂げた。その後も代々藩主の崇敬を受けた。

特に境内にある楼門は元禄16年(1703年)、日出藩3代藩主木下俊長が建立寄進したもの。東西6間・南北4間の二段切石を基壇とし、一層3間・二層2間の重量感ある門で、町の有形文化財に指定されている。

この楼門の他、絵馬殿や神楽殿も、この時期に相前後して建立寄進されている。それぞれ逐次修復されているが、平成15年(2003年)、大規模な改修工事が行われた。

例祭は毎年10月14日・15日。毛槍ひねり演武や、海の安全・大漁を祈願する神輿の海上渡御、子ども御輿、もちまきなどの行事が行われる。

境内には、神明神社と西宮社がある。また、金比羅宮もある。

【ご利益】
海上・交通安全、水難除け、厄災除け
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