大神訓練基地、人間魚雷「回天」の英霊を祀る住吉神社の境内社
[住所]大分県速見郡日出町大神5673-55 回天大神訓練基地記念公園
[電話]-
回天神社(かいてんじんじゃ)は、大分県速見郡日出町の回天大神訓練基地記念公園にある住吉神社の境内社。御朱印の有無は不明。
大平洋戦争末期の昭和19年(1944年)に入ると、戦局を逆転するために、魚雷を人間が搭乗できるように改造し、母艦の潜水艦から発進して敵艦に体当たりする戦法が考え出された。
同年9月1日、山口県徳山市大津島で回天の訓練基地が開隊、続いて光基地(山口県光市)、平生基地(山口県平生町)が順次開隊し、昭和20年(1945年)4月25日には当地に大神突撃隊が発足した。
司令の山田盛重大佐以下2000名によって構成された。その際、山田大佐によりこの基地に祀られたのが当社。御祭神は、天照大神・應神天皇・楠正成(楠木正成)。
昭和20年8月2日、隊員8名が回天8基とともに愛媛県宿毛湾麦ヶ浦へ出撃のため進出。8月15日の終戦とともに解隊したため、大神突撃隊からは突撃による戦死者は出ていない。
しかし、終戦10日後の25日、松尾秀輔少尉が基地内で白決した他、空襲による犠牲者が出ている。
終戦に伴い、山田大佐の依頼により、当社は住吉神社境内に遷座し、地区民が祭祀に携わることになった。
例祭は大神突撃隊開隊日である4月25日。昭和50年(1975年)に社殿を改築、大神回天会が発足し、3年に一度の慰霊祭の実施が決まった。その他の2年間は地区氏子の手で慰霊されている。
平成13年(2001年)には現在地に移転改築した。平成14年(2002年)には回天作戦に散った1073柱の戦没者の霊を合祀、社号の通り、全国の回天関係者の心のよりどころとなった。
しかし、元隊員で構成する大神回天会は、時間の経過とともに会員が減少、平成26年(2014年)からは地元の人々が会を引き継ぎ、当社の例祭や例大祭を執り行っていくことになった。
境内には大神回天会が奉納した回天の3分の1の模型と、大分空港沖から引き上げられた部品の一部が安置され、神社の建物の中には写真や遺書などが展示されてる。
基地跡は大神訓練基地跡となっており、現在でも基地の遺構が数多く残っているほか、回天大神訓練基地記念公園内には回天の実物大模型が設置されてている。
【ご利益】
安寧平安、諸願成就
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回天神社(かいてんじんじゃ)は、大分県速見郡日出町の回天大神訓練基地記念公園にある住吉神社の境内社。御朱印の有無は不明。
大平洋戦争末期の昭和19年(1944年)に入ると、戦局を逆転するために、魚雷を人間が搭乗できるように改造し、母艦の潜水艦から発進して敵艦に体当たりする戦法が考え出された。
同年9月1日、山口県徳山市大津島で回天の訓練基地が開隊、続いて光基地(山口県光市)、平生基地(山口県平生町)が順次開隊し、昭和20年(1945年)4月25日には当地に大神突撃隊が発足した。
司令の山田盛重大佐以下2000名によって構成された。その際、山田大佐によりこの基地に祀られたのが当社。御祭神は、天照大神・應神天皇・楠正成(楠木正成)。
昭和20年8月2日、隊員8名が回天8基とともに愛媛県宿毛湾麦ヶ浦へ出撃のため進出。8月15日の終戦とともに解隊したため、大神突撃隊からは突撃による戦死者は出ていない。
しかし、終戦10日後の25日、松尾秀輔少尉が基地内で白決した他、空襲による犠牲者が出ている。
終戦に伴い、山田大佐の依頼により、当社は住吉神社境内に遷座し、地区民が祭祀に携わることになった。
例祭は大神突撃隊開隊日である4月25日。昭和50年(1975年)に社殿を改築、大神回天会が発足し、3年に一度の慰霊祭の実施が決まった。その他の2年間は地区氏子の手で慰霊されている。
平成13年(2001年)には現在地に移転改築した。平成14年(2002年)には回天作戦に散った1073柱の戦没者の霊を合祀、社号の通り、全国の回天関係者の心のよりどころとなった。
しかし、元隊員で構成する大神回天会は、時間の経過とともに会員が減少、平成26年(2014年)からは地元の人々が会を引き継ぎ、当社の例祭や例大祭を執り行っていくことになった。
境内には大神回天会が奉納した回天の3分の1の模型と、大分空港沖から引き上げられた部品の一部が安置され、神社の建物の中には写真や遺書などが展示されてる。
基地跡は大神訓練基地跡となっており、現在でも基地の遺構が数多く残っているほか、回天大神訓練基地記念公園内には回天の実物大模型が設置されてている。
【ご利益】
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