平安期の悲恋と木樵、10月からの春季例大祭・滝の市では滝瀬楽と大名行列
[住所]大分県玖珠郡玖珠町大字山浦116
[電話]0973-72-7153
嵐山瀧神社(あらしやまたきじじんじゃ)は、大分県玖珠郡玖珠町にある神社。御朱印の有無は不明。三日月の滝温泉、三日月の滝公園の近くに鎮座し、付近は桜の名所としても知られる。
平安時代、京の都で醍醐天皇の孫である小松女院と、笛の名手で、清少納言の兄にあたるとされる少納言清原正高が恋に落ちるが、身分の違いもあり、正高は豊後国に配流となる。
小松女院は、正高を慕って穴井四郎弘次・荘隈次郎利勢と11人の侍女を伴い、はるばる当地まで追いかけてきた。
しかし、滝のほとりである老樵に出会い、正高がすでに矢野氏の娘を娶り、長野の館に住んでいると聞き、旅に使った笠や衣を松の木の枝に掛け、辞世の歌、
この滝が三日月の瀧(三日月の滝)であり、これが当社の創建となる。御祭神は、田心姫命・市杵嶋姫命・湍津姫命の宗像三女神と、小松女院。
また、この老樵も後でこの事を知り、身につまされて三日月の滝に入水する。現在、参道の鳥居の右にある木樵堂で祀られ、当社の守護神と位置付けられた。
以来、山林・木材関係者の信仰が厚くなったという。
この老樵の遺骨は、筑後大石に流れ着き、その地にも木樵神社が創建された。福岡県うきは市に鎮座する弓立神社の境内社として、木樵大明神が祀られている。
当社と、玖珠川を挟んだ地にも勧請されて、現在は桜ヶ岡瀧神社がある。当社が本社とされるが、桜ヶ岡瀧神社は近代社格では郷社に列している。
例祭は10月から11月。桜ヶ岡瀧神社とともに、嵐山・桜ヶ岡瀧神社秋季例大祭、瀧神社秋の大祭とも呼ばれ、滝の市とも。小松女院の入水の日にちなむもの。
10月29日から11月1日までで、初日と最終日に県指定無形民俗文化財の滝瀬楽と大名行列の御神幸がある。他に相撲大会や素人芝居などが演じられ、夜遅くまで賑わう。
【ご利益】
諸願成就、五穀豊穣・商売繁盛、地域・家内安全

【関連記事】
・大分県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大分県に鎮座している神社の一覧
[電話]0973-72-7153
嵐山瀧神社(あらしやまたきじじんじゃ)は、大分県玖珠郡玖珠町にある神社。御朱印の有無は不明。三日月の滝温泉、三日月の滝公園の近くに鎮座し、付近は桜の名所としても知られる。
平安時代、京の都で醍醐天皇の孫である小松女院と、笛の名手で、清少納言の兄にあたるとされる少納言清原正高が恋に落ちるが、身分の違いもあり、正高は豊後国に配流となる。
小松女院は、正高を慕って穴井四郎弘次・荘隈次郎利勢と11人の侍女を伴い、はるばる当地まで追いかけてきた。
しかし、滝のほとりである老樵に出会い、正高がすでに矢野氏の娘を娶り、長野の館に住んでいると聞き、旅に使った笠や衣を松の木の枝に掛け、辞世の歌、
笛竹の ひとよの節と 知るならば 吹くとも風に なびかざらましと詠み、11人の侍女と手を組携えて滝の水底に身を投じた。この話を聞いた正高は驚き、里人と淵瀬を探し、小松女院と侍女の遺骸を引き揚げ、墓所を作り、神社を建て鎮魂に努めた。
この滝が三日月の瀧(三日月の滝)であり、これが当社の創建となる。御祭神は、田心姫命・市杵嶋姫命・湍津姫命の宗像三女神と、小松女院。
また、この老樵も後でこの事を知り、身につまされて三日月の滝に入水する。現在、参道の鳥居の右にある木樵堂で祀られ、当社の守護神と位置付けられた。
以来、山林・木材関係者の信仰が厚くなったという。
この老樵の遺骨は、筑後大石に流れ着き、その地にも木樵神社が創建された。福岡県うきは市に鎮座する弓立神社の境内社として、木樵大明神が祀られている。
当社と、玖珠川を挟んだ地にも勧請されて、現在は桜ヶ岡瀧神社がある。当社が本社とされるが、桜ヶ岡瀧神社は近代社格では郷社に列している。
例祭は10月から11月。桜ヶ岡瀧神社とともに、嵐山・桜ヶ岡瀧神社秋季例大祭、瀧神社秋の大祭とも呼ばれ、滝の市とも。小松女院の入水の日にちなむもの。
10月29日から11月1日までで、初日と最終日に県指定無形民俗文化財の滝瀬楽と大名行列の御神幸がある。他に相撲大会や素人芝居などが演じられ、夜遅くまで賑わう。
【ご利益】
諸願成就、五穀豊穣・商売繁盛、地域・家内安全

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