江戸初期に伊予大三島を勧請した三島宮、江戸期の二階建て茶屋
[住所]大分県玖珠郡玖珠町森864
[電話]0973-72-4792

末廣神社(すえひろじんじゃ)は、大分県玖珠郡玖珠町の三島公園近くにある神社。近代社格では郷社。主祭神は大山積之大神。参拝すれば、御朱印を頂ける。

江戸時代初期の慶長6年(1601年)、瀬戸内海水軍村上氏の流れを汲む久留島氏が豊後森藩1万4000石に移封された際、出身の伊予国一宮で大三島に鎮座する三島宮(現 大山祇神社)を勧請して藩の守護神としたのが始まり。

当社そのものも近世を通じて三島宮と呼ばれていたようで、三島神社の系列の一つ。

正参道入口となる北側に清水御門がある。門に向かって左側の土手から年中涸れることなく清水が沸いていることからこの名で呼ばれる。

豊後森藩久留島家は石高が少ないことから築城を許されず、この一帯を森陣屋として藩政を行っていた。

江戸時代後期、8代藩主久留島道嘉が神社改築を口実に城門に見立てたこの清水御門を始め、石垣や庭園、天守閣に見立てた二階建ての茶屋など大規模な造営を行った。

その茶屋が、現在は県の有形文化財に指定されている栖鳳楼で、当社祭礼の御通夜をはじめ、藩主と家臣が約束する「御成」の場として使われた。

現存の本殿はそれよりも少し前の文政12年(1829年)の竣工。総欅造りで彩色がなく、桁行三間、梁行二間の入母屋造り。やはり県の有形文化財。

なお、豊後森藩久留島家が当社と同じように「築城」した神社に、速見郡日出町豊岡の大山積神社がある。

明治5年(1872年)に当地方で以前から祀られていた妙見宮(御祭神:天御中主之神)を合祀、翌明治6年(1873年)に郷社に列して現社号に改称した。

境内社に、社殿向かって右側に五社殿がある。向かって右から厳島社(市杵島姫命)、大国社(大巳貴命)、八雲社(素盞命)、秋葉社(軻遇突智命)、稲荷社(保食命)。この他に、松尾社、不動尊がある。

【ご利益】
山神、海神、渡航安全、鉱山、林業、農業など
末廣神社(玖珠町) - 江戸初期に伊予大三島を勧請した三島宮、江戸期の二階建て茶屋
【関連記事】
大分県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大分県に鎮座している神社の一覧