南北朝時代の創建、懐良親王の海難を治めた紀州粟嶋明神を勧請
[住所]大分県佐伯市米水津大字小浦
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粟嶋神社(あわしまじんじゃ)は、大分県佐伯市米水津にある神社。北から米水津湾に突き出す岬の北西部つけ根に当たり、湾に面して鎮座する。淡嶋神社の系列の一つで、近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
御祭神は大名持命と少彦名命を主祭神とし、加具突知命・言代主神・菅原道真公を相殿に祀る。
社伝によれば、南北朝時代の貞治年間(1362年-1368年)に征西将軍懐良親王と、それを奉じる菊池武光が豊後国へ下向する際に日向灘で海難に遭遇した。
そこで、親王の侍臣である渡辺左衛門尉が紀州粟嶋明神(現在の和歌山県海南市の粟嶋神社)に祈願して無事に米水津の小浦に着岸した。
その報賽として社殿を建立してその御分霊を勧請したのが創祀。親王が第一歩を印した岩は現在、当社石垣の傍らにあり、注連縄を張って祀られているという。
また、異伝として、その創祀は貞治5年(正平21年、1366年)で、清原信重によるものであるともされる。
以後、在地の海民を中心に信仰を集めた。なお、江戸時代の宝永4年(1707年)には当社の産子の者が本社である海南市の粟嶋神社へ参拝し、その時に奉納した金幣3体が同社に現伝している。
明治6年(1873年)に郷社に列し、戦後は神社本庁に参加する。
【ご利益】
海上・交通安全、水難除け、厄災除け

【関連記事】
・大分県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大分県に鎮座している神社の一覧
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粟嶋神社(あわしまじんじゃ)は、大分県佐伯市米水津にある神社。北から米水津湾に突き出す岬の北西部つけ根に当たり、湾に面して鎮座する。淡嶋神社の系列の一つで、近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
御祭神は大名持命と少彦名命を主祭神とし、加具突知命・言代主神・菅原道真公を相殿に祀る。
社伝によれば、南北朝時代の貞治年間(1362年-1368年)に征西将軍懐良親王と、それを奉じる菊池武光が豊後国へ下向する際に日向灘で海難に遭遇した。
そこで、親王の侍臣である渡辺左衛門尉が紀州粟嶋明神(現在の和歌山県海南市の粟嶋神社)に祈願して無事に米水津の小浦に着岸した。
その報賽として社殿を建立してその御分霊を勧請したのが創祀。親王が第一歩を印した岩は現在、当社石垣の傍らにあり、注連縄を張って祀られているという。
また、異伝として、その創祀は貞治5年(正平21年、1366年)で、清原信重によるものであるともされる。
以後、在地の海民を中心に信仰を集めた。なお、江戸時代の宝永4年(1707年)には当社の産子の者が本社である海南市の粟嶋神社へ参拝し、その時に奉納した金幣3体が同社に現伝している。
明治6年(1873年)に郷社に列し、戦後は神社本庁に参加する。
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海上・交通安全、水難除け、厄災除け

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