隼人征伐における騙し討ちの報いが発端、傀儡相撲などは今に伝わる
宇佐神宮の放生会 - 隼人征伐における騙し討ちの報いが発端、傀儡相撲などは今に伝わる
宇佐神宮の放生会とは、仏教の不殺生戒に由来する慈悲行「放生」を、奈良時代の養老4年(720年)に隼人の反乱鎮圧後、八幡神の託宣に基づき勅命により行われるようになった、行幸会とともに宇佐神宮における二大神事の一つである。現在はより有名になってもいる、石清水八幡宮筥崎宮の放生会の源流でもある。

仏教の行からの派生であり、放生会そのものが仏教用語ではあり、神仏習合によって神道儀礼になったとされるが、もともとの日本の風習や習慣と合致したものとして成立したという方向性でも考えられるべきだろう。

開始時は、養老2年(718年)から宝亀8年(777年)までの間で多数の説がある。いずれにせよ、奈良時代。怨霊が悪疫と関連付けられ、その報いとして、放生会を開催しなければならなくなった、という、まさに日本的な鎮魂と慰霊の典型。

いくつかの資料には明記されているが、隼人征伐においては傀儡子などを活用した、明らかな騙し討ちがやはり行われている。朝廷の常とう手段とはいえ、関係者もかなり後ろめたかったに違いない。

次第としては主に下記の通り。延べ15日間に渡って行われる大規模な行事だった。

1.豊前国田川郡の豊比売社で鋳造された銅鏡を、神職たちが八幡神の御正躰として捧持して宇佐に向かう。

2.その途中で、上毛郡の古表神社と下毛郡の古要神社から傀儡子を持ってきた楽人たちが合流、凶首塚・百体宮(百体神社)へ向かう。

3.そこで、宇佐八幡から神輿を渡御してきた神職・僧侶の一行と合流して、隼人の霊を慰める祭典を行う。

4.その後、和間浜の頓宮へ向かい、到着後、舞楽が奏せられる中で鎮魂儀式が行われ、銅鏡を浮殿に納める、あるいは八幡宮の神官に渡される。

5.翌日、潮が満ちてきた頃を見計らって、八幡神が浮殿に出御、その前で僧侶らによる放生陀羅尼が誦され、傀儡舞や伎楽などが奏舞され、神官により蜷貝が海中に放たれる。

宇佐宮 宇佐神宮

宇佐神宮 - 神託事件でも知られる八幡宮の総本社、邪馬台国の所在地の候補の一つ
[説明]八幡神の神輿巡幸、神職・僧侶
[住所]宇佐市南宇佐2859
[電話]0978-37-0001

官幣宮 豊日別宮

豊日別宮 - 行橋、「猿田彦神は天照大神の分身」、宇佐神宮の放生会などで別格の崇敬 
[説明]勅使参向、神鏡を奉斎
[住所]行橋市南泉7-13-11
[電話]-

豊比売社 古宮八幡神社

古宮八幡神社 - 香春岳の銅で鏡を制作して宇佐に奉納、奈良の大仏鋳造に貢献、杉の葉神輿
[説明]採掘した銅で神鏡を制作、巡幸する
[住所]田川郡香春町大字採銅所2611
[電話]0947-32-4910

古表神社 八幡古表神社

八幡古表神社 - 4年に1度の傀儡子の舞と神相撲で知られる、神功皇后の神託による縁起
[説明]凶首塚・百体宮で傀儡舞を奉納
[住所]築上郡吉富町小犬丸353-1
[電話]0979-22-3237(090-9659-2490

古要神社 古要神社

古要神社 - 大分中津市、隼人族の怨魂の祟りを鎮める放生会、傀儡子の舞と相撲が有名
[説明]凶首塚・百体宮で傀儡舞を奉納
[住所]中津市伊藤田231
[電話]0979-22-1111

凶首塚・百体宮 鷹居神社

鷹居神社 - 八幡神が鷹の姿になって出現して奈良初期に創建、化粧井戸・凶首塚・百体宮
[説明]付近に化粧井戸・凶首塚・百体宮
[住所]宇佐市上田字1435
[電話]-

和間浜の頓宮 和間神社

和間神社 - 「和間浜の浮殿」宇佐神宮の放生会の主舞台、現在は10月に中秋祭で放生会
[説明]浮殿に神鏡を納め、八幡神が出御
[住所]宇佐市松崎793
[電話]-

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