大分中津市、隼人族の怨魂の祟りを鎮める放生会、傀儡子の舞と相撲が有名
[住所]大分県中津市伊藤田231
[電話]0979-22-1111

古要神社(こようじんじゃ)は、大分県中津市にある神社。近代社格では村社。何よりも傀儡子で有名で、「古要神社の傀儡子の舞と相撲」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。御朱印の有無は不明。

御祭神は息長足姫命虚空津比売命。傀儡子に関する情報は豊富だが、当社そのものの由緒に関しては情報が少なく、よくわからない。

奈良時代の養老3年(719年)8月、大隅・日向の隼人族が大陸(新羅)からの援助を得て数万の軍兵となって大和朝廷に叛いた。

この時朝廷は宇佐八幡宮へ勅使を遣わし御神託を仰いだので、豊前国司宇努男人は八幡宮の神輿を奉じて、賊軍の征討に赴きこれを平定、養老7年(723年)に無事還幸した。

しかしその後、隼人族数千の怨魂の祟りか各地に悪疫が蔓延したため、その霊を供養すべく天平16年(744年)8月15日、史上初の放生会が仮宮、つまり和間の浮殿で行われた。

この放生会の際、舞わせたり相撲をとらせたりする木製人形の傀儡子や、その舞そのものが当社の神人形である。

そもそもは隼人征討の際の作戦の一つとして傀儡子が用いられたとも伝えられており、当社の創建もあるいはこの時期まで遡るとも考えられる。

同じく傀儡子が伝わる神社に、福岡県吉富町の八幡古表神社があり、やはり、「八幡古表神社の傀儡子の舞と相撲」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。

放生会は平安末期から鎌倉時代以降、武家政権によって次第に衰退した。応永年間(1394年-1428年)に一度再興したが、これもすぐに衰えたとされる。

江戸時代となり、元和3年(1617年)8月、細川忠興によって宇佐八幡宮の放生会として再興され、現在に至る。当社の盛衰も放生会と、その根幹でもある傀儡子のそれに左右されたものと考えられる。

毎年8月7日午前中に、当社拝殿で「おいろかし」という人形及び衣装の虫干しが行われる。

【ご利益】
厄災除け、諸願成就、子授かり・安産
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