奈良期に京の祇園社を勧請した宇佐神宮行幸会の止宿地
八坂神社(大分県安岐町朝来字弁分)
[住所]大分県安岐町朝来字弁分
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八坂神社(やさかじんじゃ)は、大分県安岐町朝来の弁分にある神社。弁分八坂神社、弁分八坂社などと呼ばれる。宇佐神宮行幸会においては止宿地となり、往時は牛頭之宮などとも。御朱印の有無は不明。

創祀は奈良時代の天平神護元年(765年)とされる。ただし、これは行幸会の始まりの年ともされ、それに合わせて勧請・建立されたとも考えられる。

一般的には弁分は古くは政治の中心地である別符で、当社は当時の国司が京都祇園宮(現 八坂神社)の御分霊を奉遷して祈願所としたと言われる。

当時の国司にとって、宇佐の行幸会は最大級のイベントだったはずで、それに合わせて、宇佐の主神の1柱である宗像三女神の父にあたる建速須佐之男命(牛頭天王)を勧請した、ということだろうか。

当社付近、国東地域には八坂神社が集中している。創祀の早さから考えて、当社が中核神社か。なお、創祀年が同じもので、宇佐神宮とのゆかりが深いものに、同市内に椿八幡神社、宇佐市に妻垣神社がある。

どちらにしろ、宇佐八幡宮と密接に関係のある神社であり、神領の扱いを受けていたようだ。鎌倉時代末期の元弘3年(1333年)銘のある板碑がある。八坂社板碑として、県指定有形文化財。

境内社に五霊社(ごれいしゃ)がある。大正8年(1919年)に当社本殿新築に伴い、旧本殿を移築したもの。

その小屋裏内に昭和7年(1932年)の修理棟札が残されており、これに、元禄10年(1697年)の建立とある。その裏面には当社が、五霊社、天満社、大年社の合祀である、とも。

菅原道真はもとより、当社御祭神の御子神である大年神も祀られているようで、後年の近郊神社の合祀か。

正徳5年(1715年)、天明2年(1781年)に修理された記録が残る。彫刻で賑やかに飾り、江戸中期の特徴をよく表している建築物。町指定有形文化財。

現在の本殿の前には仁王石像が左右に安置されている。凹凸の激しいユニークな表情。ロン毛の狛犬、大きな楠と馬の像などもある。

旧暦6月15日、新暦の7月-8月に夏祭りがある。祇園祭。子供たちが大きな山車の中から「コンチキチン・コンチキチン」とカネや太鼓打ち鳴らす様子を、この日を楽しみにしていたお年寄りが笑顔いっぱいで見守る。同地域の人々の親睦を図るほのぼのとした祭典。

【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、地域・家内安全
八坂神社(国東市安岐町朝来) - 奈良期に京の祇園社を勧請した宇佐神宮行幸会の止宿地
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