八幡大神が大根を食した地、隼人征伐の必勝祈願社で、4月にはカッパ祭り
[住所]大分県宇佐市佐野宇佐市佐野1344
[電話]-
大根川神社(おおねがわじんじゃ)は、大分県宇佐市にある神社。宇佐神宮行幸会八社の一つで、宇佐神宮の境外社。近代社格では郷社。矢立宮とも。御祭神は誉田別命。御朱印の有無は不明。
創建年代は不詳だが、八幡大神が御遊化、つまり修行していた頃、鷹居瀬社、つまり鷹居神社と郡瀬神社から大禰河に至り、この川辺で大根を召し上がったという。
そのため、大禰河と呼ばれ、大根川となった。大禰河社とも呼ばれる所以。鷹居瀬社の創建が和銅5年(712年)までのこととされるため、原則としてそれ以降の創建となるか。
この八幡大神の大根の伝承の他、『宇佐宮記』には、この川辺において、社女が大根の供養を奉った、とある。
養老4年(720年)、大隅・日向の隼人征伐の際、朝廷から征隼人時節大将軍に任命された大伴旅人がこの地で弓矢を立てて必勝を祈願したと伝わる。矢立宮の由来。
神亀2年(725年)、宇佐八幡宮が現在地に創建されると、当社を行幸会八社の一つと定め、その後に現社号を名乗るのようになったという。
社殿の左手の大根川の手前には「河童・次郎ェ門渕碑」と彫られた石碑がある。毎年4月中旬に行われる大根川神社例祭「かっぱ祭り」の時に、河童を封じ込める「河童踊り」が奉納される。
この祭りは川祭りとも呼ばれ、下佐野・上佐野の住民が2年ごとに交互に執り行う特殊神事。200年前から水難、水飢饉を防ぐために始められたと伝わる。
当社に祈念すれば、失くしたものが出てくると言われている。明治5年(1872年)、郷社に列した。
【ご利益】
五穀豊穣、水難除け、厄災除け
【関連記事】
・宇佐神宮の行幸会 - 奈良朝からの4年-6年に1度の特殊神事、2年間の準備と5日間の巡幸
・大分県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大分県に鎮座している神社の一覧
宇佐神宮行幸会八社
・田笛神社
・鷹居神社
・郡瀬神社
・泉神社
・小山田神社
・乙咩神社
・大根川神社
・妻垣神社
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大根川神社(おおねがわじんじゃ)は、大分県宇佐市にある神社。宇佐神宮行幸会八社の一つで、宇佐神宮の境外社。近代社格では郷社。矢立宮とも。御祭神は誉田別命。御朱印の有無は不明。
創建年代は不詳だが、八幡大神が御遊化、つまり修行していた頃、鷹居瀬社、つまり鷹居神社と郡瀬神社から大禰河に至り、この川辺で大根を召し上がったという。
そのため、大禰河と呼ばれ、大根川となった。大禰河社とも呼ばれる所以。鷹居瀬社の創建が和銅5年(712年)までのこととされるため、原則としてそれ以降の創建となるか。
この八幡大神の大根の伝承の他、『宇佐宮記』には、この川辺において、社女が大根の供養を奉った、とある。
養老4年(720年)、大隅・日向の隼人征伐の際、朝廷から征隼人時節大将軍に任命された大伴旅人がこの地で弓矢を立てて必勝を祈願したと伝わる。矢立宮の由来。
神亀2年(725年)、宇佐八幡宮が現在地に創建されると、当社を行幸会八社の一つと定め、その後に現社号を名乗るのようになったという。
社殿の左手の大根川の手前には「河童・次郎ェ門渕碑」と彫られた石碑がある。毎年4月中旬に行われる大根川神社例祭「かっぱ祭り」の時に、河童を封じ込める「河童踊り」が奉納される。
この祭りは川祭りとも呼ばれ、下佐野・上佐野の住民が2年ごとに交互に執り行う特殊神事。200年前から水難、水飢饉を防ぐために始められたと伝わる。
当社に祈念すれば、失くしたものが出てくると言われている。明治5年(1872年)、郷社に列した。
【ご利益】
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