奈良朝初期の創建、伊予の宇佐神宮の元宮、行幸会の最終地点
[住所]愛媛県八幡浜市510
[電話]0894-22-0384

八幡神社(はちまんじんじゃ)は、愛媛県八幡浜市にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『万葉集』にも歌われた史蹟でもある矢野神山に鎮座するため、矢野八幡神社とも。宇佐神宮に先立つ創建で、宇佐神宮の元宮ともされる。

奈良時代初期、元正天皇の御宇、養老元年(717年)の創建と伝える。当社が、現在も残る八幡浜の地名の由来となる。

御祭神は、誉田天皇大帯媛命田心媛命湍津媛命市杵島媛命宗像三女神

神功皇后三韓征討の時、皇后の妹である豊媛命が当地に来駕し、壮丁を募り軍旅を整えたという由縁の霊蹟に、八幡大紳の神霊が降臨し、神主清家貞網が奉斎したという。現在も社家は清家氏。

当社の説明によれば、宇佐神宮は当社の御分霊を奉戴して豊後水道を渡り、大分県奈多浜(現在の奈多宮)に上陸、景勝の地を求めて豊後、日向、肥後の各地を巡幸した8年の後、現在の宇佐市亀山に鎮座したという。

つまり、神亀2年(725年)で、これは宇佐神宮が主張している創建年代に合致する。

そのため、当社は、日本に約4万5000社ある八幡社の中で、誉田八幡宮宇美宮香椎宮に次いで4番目に古い八幡神社であるとする。

ただ、宇佐神宮によれば、和銅5年(712年)に鷹居神社を造り、八幡大神を祀る、とし、霊亀2年(716年)に八幡大神を小山田神社に移し祀る、としている。

養老4年(720年)、豊前国守宇努首男人が将軍として八幡神を奉じ、大隅・日向の隼人を攻めるともあり、これは当社の伝える巡幸に合致するとは言える。

宇佐神宮には、天平勝宝7年(755年)に四国伊予国宇和嶺に八幡宮を造営とあり、これが当社のことであると思われる。

これは、八幡大神が奈良に巡幸後、奈良の大仏開眼式に列席し、宇佐に帰還する途上に立ち寄ったもの、とされる。その後、奈多宮を経て亀山に戻るというルートは、当社伝と同様。

当社と宇佐神宮には多少の食い違いが見えるものの、当社が宇佐神宮にとって特別なものだったことは間違いなく、現在は途絶えている宇佐神宮の重要神事「行幸会」の帰結点も、当社となっていることもそれは明らか。

当社社叢一帯は、古来歌枕「矢野神山」として世に知られ、歌聖柿本朝臣人麻呂の歌に下記『万葉集』巻10第2178番がある。
妻こもる 矢野の神山 露霜に 匂ひそめたり 散らまく惜しも
矢野郷33箇町村の総鎮守として深く崇敬された。例祭は10月19日。神幸祭。神輿渡御がある。5年ごとに海上渡御の神事があり、古例により50年ごとに式年大祭があるという。

4月の春季大祭では雅楽に合わせて優雅に踊る舞楽が奉納される。

【ご利益】
厄災除け、勝運、交通安全、安産
八幡神社(八幡浜市) - 奈良朝初期の創建、伊予の宇佐神宮の元宮、行幸会の最終地点
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八幡神社(八幡浜市)の御朱印