弓削道鏡事件で和気清麻呂が宣託を受けた地、宇佐神宮の境外摂社
[住所]大分県宇佐市南宇佐2895
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大尾神社(おおじんじゃ)は、大分県宇佐市南宇佐にある神社。宇佐神宮の東側、御許山から北に伸びる尾根の先端に位置する大尾山の頂上に鎮座する、宇佐神宮の境外摂社で、元宮である。御朱印の有無は不明。

御祭神は八幡大神。表参道大鳥居の先から左(東)へ、「頓宮(御旅所で、宇佐祖神社。御祭神は菟狭津彦命)」前を東西に通る参道を抜けると、県道の向こう側に急な石段がある。

石段を登り切ると、正面に「和気公之碑」と刻した石碑があり、道は左右に分かれ、山道を左手へ回り込むと当社に、右手へ進むと当社境内社の護皇神社(護王神社)に至る。

八幡大神は第29代欽明天皇32年(571年)に初めて宇佐の地に顕現し、奈良時代の神亀2年(725年)に聖武天皇の勅願により、現在の宇佐神宮が整備された。

天平勝宝元年(749年)、八幡大神は比売大神とともに奈良に行幸し、天平勝宝4年(752年)の奈良の大仏の開眼供養会に出席する。

その後、天平勝宝7年(755年)には伊予国宇和嶺に移り、社殿を造営。現在の愛媛県八幡浜市の八幡神社であるとされる。そしてその10年後に奈多宮を経由して宇佐に帰還した。

その時、宇佐三山の一つ大尾山の頂上に鎮座するとの託宣があったので、天平神護元年(765年)に社殿などを造営して遷座、八幡大神はここに約15年鎮座した。

この間の神護景雲3年(769年)7月11日、和気清麻呂が弓削道鏡の事件に際して勅使として当社に参拝し、八幡大神より宣託を授かったことで知られる。

清麻呂が宇佐八幡宮で宣託を受ける、というのは、教科書などでも馴染みだが、いわゆる現在の宇佐神宮本殿ではなく、現在は摂社となっている当社がその宣託を受けた場所ということになる。

その清麻呂を祀るのが上述の護皇神社であり、清麻呂が宣託を受けたことを顕彰する碑が参道にある碑ということになる。

奈良時代も末に近い宝亀10年(779年)になって、大尾山に坐す八幡大神が再度託宣し、もとの小椋山、つまり現在の宇佐神宮の地に遷座することになる。

遷座が完了したのが平安時代を切り開くことになる桓武天皇の御世、延暦元年(782年)である。

比売大神が、現在は宇佐神宮の奥宮とされる御許山山頂に降臨し、現在は大元神社があるが、そこから小椋山に遷座したのと比べると、八幡大神の慌ただしさが際立つ。

これは当時の、当地豪族である大神氏と宇佐氏の主導権争いの結果、との見方が現在の通説ではある。

その後の当社は、清麻呂が宣託を受けた地ということで聖地化され、皇位皇統の正当性を護った象徴として、引き続き崇敬されることになった。

【ご利益】
平穏安寧、リフレッシュ、諸願成就
大尾神社(宇佐市) - 弓削道鏡事件で和気清麻呂が宣託を受けた地、宇佐神宮の境外摂社
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