征西将軍が勧請した天満宮、加藤氏の再興、細川忠興が現在の地に遷座
[住所]熊本県八代市萩原町1-8-10
[電話]-
萩原菅原神社(はぎわらすがわらじんじゃ)は、熊本県八代市萩原町にある神社。近代社格では村社。萩原天満宮(はぎわらてんまんぐう)とも。御朱印の有無は不明。
征西将軍の勧請により、萩原祈祷の森に創祀された。詳細は不明だが、南北朝時代の懐良親王(1329年?-1383年)のことか。
御祭神は菅原道真公。道真を祀る天神・天満宮の一つである。懐良親王による創建であれば、その経歴から、太宰府天満宮を勧請したものと思われる。
戦国時代にはキリシタン大名である小西行長の焼き討ちにより破却されたが、加藤正方の与力津川芝兵衛定敏が再興したという。
江戸時代になり、寛永年間(1624年-1645年)、細川忠興(三斎)が八代城に隠棲の後、球磨川堤防の安全のため、社殿を球磨川近くの現在地に移転し、真言宗山伏梅本院を社僧とした。
宝暦5年(1755年)、球磨川堤防が決壊し、社殿その他全て流出したので、由緒の詳細は不明である。明治4年(1871年)、神仏分離令により社僧を廃し、村社に列せられた。
よく似た社号の神社に、大阪府堺市東区日置荘原寺町の萩原神社(萩原天神)があるが、別の神社である。
【ご利益】
学業・受験合格、水難除け、病気平癒

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・熊本県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、熊本県に鎮座している神社の一覧
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萩原菅原神社(はぎわらすがわらじんじゃ)は、熊本県八代市萩原町にある神社。近代社格では村社。萩原天満宮(はぎわらてんまんぐう)とも。御朱印の有無は不明。
征西将軍の勧請により、萩原祈祷の森に創祀された。詳細は不明だが、南北朝時代の懐良親王(1329年?-1383年)のことか。
御祭神は菅原道真公。道真を祀る天神・天満宮の一つである。懐良親王による創建であれば、その経歴から、太宰府天満宮を勧請したものと思われる。
戦国時代にはキリシタン大名である小西行長の焼き討ちにより破却されたが、加藤正方の与力津川芝兵衛定敏が再興したという。
江戸時代になり、寛永年間(1624年-1645年)、細川忠興(三斎)が八代城に隠棲の後、球磨川堤防の安全のため、社殿を球磨川近くの現在地に移転し、真言宗山伏梅本院を社僧とした。
宝暦5年(1755年)、球磨川堤防が決壊し、社殿その他全て流出したので、由緒の詳細は不明である。明治4年(1871年)、神仏分離令により社僧を廃し、村社に列せられた。
よく似た社号の神社に、大阪府堺市東区日置荘原寺町の萩原神社(萩原天神)があるが、別の神社である。
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学業・受験合格、水難除け、病気平癒

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