足手荒神の総本社、肥後国人一揆の敗将甲斐宗立と父甲斐宗運を祀る
[住所]熊本県上益城郡嘉島町上六嘉2242
[電話]096-237-2082

甲斐神社(かいじんじゃ)は、熊本県上益城郡嘉島町にある神社。近代社格では無格社。六嘉村大字上六嘉字中郡にあったことから、中郡甲斐神社とも。通称は足手荒神。足手荒神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

郷土の武将甲斐宗立公と甲斐宗運公を祀り、特に宗立公を手足の神様である足手荒神として祀った神社で、九州各地にある足手荒神信仰の総本社である。

手足の神様として篤く信仰されていることから、主に手足の病気平癒、運動選手などによる無病息災、交通安全の参拝が多い。

戦国時代末期の天正15年(1587年)、九州を平定した豊臣秀吉の命で、肥後国を治めることとなった佐々成政の太閤検地に反発し、国衆、民衆が一揆を起こす。いわゆる肥後国人一揆である。

その主力だった甲斐宗立は善戦するも敗退、手足に致命的な傷を負いながらも何とか現在の当社地近くまで逃れ、里人から手厚い手当を受けたという。それに感激した宗立は下記の遺言を残す。
魂魄この世に留まり子々孫々を見守り、手足に苦しむ者を救いやるであろう
後に、その霊を弔うために祠を建てたのが当社の起こりで、宗立を介抱したのが当社斉主の祖先だという。ただし、宗立の最期については諸説ある。

つまり、創祀は天正15年直後のことと思われるが、創建については確定的な資料はなく、発見された銘入りの瓦にある文化2年(1805年)が創建とみる向きもある。

戦国時代に当地で非業の死を遂げてから数百年後、資料があるからといって、創建を江戸末期に設定するのは、科学的な態度なのかもしれないが、日本人の信仰にはそぐわない。

祭祀は小規模だったかもしれないが、戦国末期から江戸初期以来、脈々と続いていたと考えた方が、日本的には合理的。

例祭は2月15日。手足の無病息災、病気平癒を祈り手足の形をした絵馬を奉納する参拝者で賑わう。特別バスも出る場合もある。

参拝した後、病が治った方が奉納した手型・足型のご利益にあやかろうと、その手型・足型で手足を摩る参拝者も多い。

1月15日には手型、足型、神符焼納祭があり、12月15日には松葉杖、コルセット清め祓い祭があり、手足祈願として、徹底している。

宗立の父である甲斐宗運は阿蘇神社大宮司の家臣で、戦にかけては生涯不敗と言われた。勇猛で知られる薩摩の島津家からも恐れられ、現在は、当社の御祭神として、必勝祈願・厄除けのご利益があるとされている。

かつて、ここを参拝した足の立たない人が、後に立てるようになった際、お礼にと神前で自分の親指を切り落として奉納した。指は長らくアルコール漬けにされて供えられていたが、今はないという。

末社に三宝荒神がある。

【ご利益】
手足の病気平癒、無病息災、必勝祈願・勝運、厄災除け(公式HP
甲斐神社(嘉島町) - 足手荒神の総本社、肥後国人一揆の敗将甲斐宗立と父甲斐宗運を祀る
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