郷里に軍神・広瀬武夫海軍中佐を祀る、記念館や江戸期の城下道
[住所]大分県竹田市大字竹田町2020
[電話]0974-62-3074

広瀬神社(ひろせじんじゃ)は、大分県竹田市竹田町にある神社。近代社格では県社。竹田市出身で軍神第1号の海軍中佐、広瀬武夫命を主祭神とする。例祭は5月27日。参拝すれば、御朱印を頂ける。

現在は、竹田市を含む旧直入郡(現在はほぼ全域が竹田市内)内の戦歿者などの御神霊1400余柱を合祀している。

幕末の慶応4年(1868年)、岡藩勤王の志士広瀬重武の次男として竹田茶屋の辻で誕生した広瀬は、明治27年(1894年)の日清戦争に従軍し、明治28年(1895年)には大尉に昇進。

明治30年(1897年)にロシアへ留学してロシア語などを学ぶ。旅順港などの軍事施設も見学。その後ロシア駐在武官となり、明治33年(1900年)に少佐昇進。明治37年(1904年)、日露戦争が開戦する。

同年3月27日に日露戦争の旅順港閉塞作戦で戦死、即日中佐に昇進した。その人格と報国の精神を敬仰する人々により「広瀬神社創建奉賛会」が結成され、昭和10年(1935年)5月に社殿が落成、同月25日に鎮座祭が行われ、県社に列した。

昭和23年(1948年)7月、大分県直入郡遺族連合会が、郡内の国家公共に尽くして亡くなった人々の御神霊の当社への合祀を議決し、翌年、第1回の合祀が行われた。

境内には広瀬記念館があり、御祭神に関する展示が行われている。館内にはかつて広瀬の乗艦であった戦艦朝日のカッターが寄進されており、旧海軍時代のものとしては貴重なもの。

鳥居の前には広瀬武夫胸像があり、境内には伊豆坂から丘越えで弥五兵衛坂を通って武家地の鷹匠町と城下町の上町通りを結ぶ江戸時代の城下道も残されている。

また、同じく竹田市出身の陸軍大将阿南惟幾の顕彰碑がある。碑は岸信介の書によるもの。

なお、広瀬中佐はゆかりのある岐阜高山の飛騨護国神社の祖霊殿にも祀られている。

【ご利益】
平穏安寧、家内安全、諸願成就
広瀬神社(竹田市) - 郷里に軍神・広瀬武夫海軍中佐を祀る、記念館や江戸期の城下道
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広瀬神社(竹田市)の御朱印