奈多海岸の沖合の小島・市杵島が、八幡の比売大神の降臨地、4月に御田植祭
[住所]大分県杵築市大字奈多229
[電話]0978-63-8088

奈多宮(なだぐう)は、大分県杵築市にある神社。近代社格では県社。八幡奈多宮(はちまんなだぐう)、奈多八幡宮とも呼ばれる。御朱印の有無は不明。

奈多海岸のほぼ中央に位置する。宇佐神宮と関係の深い神社であるが、正確な創建の時期は不明である。

奈多海岸の沖合約300メートルにある市杵島という小島は、当宮の元宮である。比売大神は最初、この島に降臨したと伝えられており、岩礁の上には小鳥居が建てられている。

伝承では宇佐神宮の別宮として、神亀6年(729年)に宇佐神宮大宮司であった宇佐公基により創建されたという。主祭神は比売大神、応神天皇神功皇后

比売大神はいわゆる宗像三女神で、多紀理毘売命(たきりびめ)・市寸島比売命(いちきしまひめ)・多岐都比売命(たぎつひめ)。

宇佐神宮の旧御神体とされる木造僧形八幡神坐像と2躯の木造女神坐像の三神像を収蔵し、これら三神像は国の重要文化財に指定されている。

かつて宇佐神宮で行われていた6年ごとの行幸会では、新しい御神体の薦枕が薦神社で作られ、宇佐宮本殿(上宮)に納められると、上宮の古い薦枕は宇佐神宮の御炊殿(下宮)に納められ、下宮の古い薦枕はいったん当宮に納められた後、海に流された、あるいは愛媛県八幡浜市の八幡神社に行きつくとされた。

永延2年(989年)、一条天皇より、「日本最上八幡初中後廟」の額を賜る。

中世においては豊後国守護の大友氏との関係が深く、当宮の大宮司奈多鑑基は大友氏の寺社奉行となり、その娘奈多夫人は大友義鎮(宗麟)の正室となって、嗣子の大友義統を生した。

慶長元年(1596年)、慶長豊後地震の津波によって社殿及び古記録を喪失する。寛永4年(1627年)、細川忠興により社殿が再建される。明治14年(1881年)、現在の本殿が造営された。

八幡宇佐宮御託宣集・八幡縁起(4点)・八幡奈多宮縁起箱・奈多宮木造神像(6躯)・大太刀・陣道面が県の有形文化財に指定されている。楼門が市指定重要文化財。

例祭は4月5日で、県指定無形民俗文化財の御田植祭が斎行される。斎田の馬鍬を引いた馬が苗代掻きをすると、柄振り突きが斎田を均し、早乙女の準備を促す。

太鼓打ち、田植神主、柄振り突きが並ぶ後に6人の早乙女が整列して、田植え唄を交互に歌いながら田植の所作をする。狂言の影響をより強く受けているのが特徴。

この他、当日には神輿渡御もある。

【ご利益】
水難除け、海上・交通安全
奈多宮 - 奈多海岸の沖合の小島・市杵島が、八幡の比売大神の降臨地、4月に御田植祭
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