平安初期の惟喬親王の創祀、5月の仰木泥田祭は源満仲との離別にちなむ神事
[住所]滋賀県大津市仰木4-38-55
[電話]077-572-1482

小椋神社(おぐらじんじゃ)は、滋賀県大津市にある神社。『延喜式神名帳』にある「小椋神社(近江国・滋賀郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

天安2年(858年)、第55代文徳天皇の皇子惟喬親王の創祀。御祭神は伊弉那美神で、当時は大宮明神と称した。

翌貞観元年(859年)、源融公(嵯峨源氏)が宮川の上流に祀れる闇淤加美神を遷し祀る、当社ではこれをもって創始とする。

宮川の上流、滝壷に祀られた闇淤加美神は、天智天皇6年(667年)、近江大津への遷都の際、大和国葛城山丹生川上神社の御分霊を遷し祀ったもの。

この天智朝から当地はますます開け、農業も盛んになったという。醍醐天皇の延喜2年(902年)、小椋明神の神告により若宮山に鎮座していた稚日女神(若宮明神)を当社に遷座。

円融天皇の貞元2年(997年)、鎮守府将軍源満仲は老後に当地を訪問、仏門に入り、名僧として知られた比叡山横川の恵心僧都に帰依。当地にいること10年、たびたび当社を参詣したと伝わる。

満仲はその後当地を去るが、そのことが今日の例祭の各神事につながっていく。

鎌倉時代になり、後鳥羽天皇の建久元年(1190年)、本社の奥のやや高い所に日吉神社の摂社十禅師明神と石居明神とを祀り、前者を新宮神社(少彦名神)、後者を今宮神社(大穴持神)と称し、これにより五社明神と称した。

慶安2年(1649年)、当地は後水尾天皇第5皇女賀子内親王の領地となり、皇女は当社を厚く崇敬、一の鳥居や石橋などを寄進した。二條家に嫁いだ後も、二條家による尊崇が続いた。

その後当社は田所神社と称し、明治9年(1876年)、村社に列し、昭和20年には旧名である現社号に復して申請して県社に昇格した。

例祭は5月3日。仰木泥田祭、あるは泥田祭仰木祭りとも。前日の2日が宵宮で、神輿出し、子供神輿の巡幸、流鏑馬の足慣らしなどが催される。

当日の3日早朝に例祭を執り行い、午後からは古式祭が催される。市無形民俗文化財に指定されている仰木太鼓が響き渡り、各地の氏子が参社し、それぞれ5基の神輿を担ぎ、御旅所まで渡御が行われる。

御旅所では、恵心僧都源信に帰依し仰木に移り住んだといわれる清和源氏の2代、鎮守府将軍源満仲が仰木を離れる際、別れを惜しんだ郷人と酒宴を張られた故事にならい、芝座敷、千野座敷と呼ばれる神事が行われる。

その後、流鏑馬の神事についで、なお別離を惜しんだ郷人が満仲の馬を止めた故事にならい、馬止めが行われる。

【ご利益】
水の神、五穀豊穣・商売繁盛、縁結び(公式HP
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