神功皇后の御陵候補?ともされる息長古墳群、9月に鎌倉期以来の角力神事
[住所]滋賀県米原市能登瀬390
[電話]0749-54-2913
山津照神社(やまつてるじんじゃ)は、滋賀県米原市にある神社。『延喜式神名帳』にある「山津照神社(近江国・坂田郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。御祭神は国常立尊。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀年代は不詳。『近江坂田郡志』によれば、「興福寺官務牒疏」に「山津照神。在坂田郡箕浦之東能登瀬。供僧三人。神主二人。神人二人。宣化天皇3戌午年(538年)。影向勧請。金勝寺四箇處鎮守之其一也」とある。
天武天皇(在位:673年-686年)の御代に奉幣があり、『神祇資料』によると、「山津照神社、今能登瀬村にあり、称徳天皇天平神護2年(766年)、近江地6戸を神封に充奉る」とある。
文徳天皇の仁寿元年(851年)に正六位に進められ、清和天皇の貞観8年(866年)、正四位下に敍せられた。
宇多天皇の寛平9年(897年)、金勝寺の鎮守として、近江国の国司から、この年に年分度者2人に許可を与え、それぞれ飯道名神(信楽)と山津照名神とに仕えさせたい旨奏上したところ、朝廷もその請願を許可した。
醍醐天皇の延長6年(928年)、位記の印を請けた。
南北朝時代の光明天皇の暦応2年(1339年)、社殿の修造が行われた。後光厳天皇の文和3年(1354年)にも祈願があり、朝野の崇敬が厚く、社領の寄進などがしばしば行われた。
中世には青木の宮と称したが、明治以降はもとの現社号に復称し、明治14年(1881年)、郷社に列し、大正10年(1921年)には県社に昇格した。
近郷の総社として27ヶ村(現在は20ヶ村)の氏神として崇敬されている。
境内には山津照神社古墳がある。横山丘陵南端尾根東よりの丘陵上に位置し、東側に後円部は径26.4メートル、西側に前方部長さ39.6メートルの、全長46.2メートルの前方後円墳。
天野川中流域から平地にかけては多くの古墳が展開し、いわゆる息長氏にかかる墳墓「息長古墳群」の一つである。神功皇后の御陵候補地ともみられ、当然のことながら当社との深い関係があると思われる。
ちなみに、神功皇后陵は宮内庁によって奈良県奈良市の五社神古墳が「狹城楯列池上陵」として治定されている。
境内社に、青木神社・若宮八幡神社・春日社・北野社がある。
9月第2日曜日に、角力神事がある。鎌倉時代の後烏羽上皇(1198年退位、1221年配流)参拝の時からと伝えられる。
以前は県内はもちろん、隣県からも力士が参集し、地方としては稀な盛観を呈した祭事だった。角力は青年力士による式角力から始まり、小・中学生、青年と進み、中入りまである。
【ご利益】
平穏安寧、身体壮健、病魔退散

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山津照神社(やまつてるじんじゃ)は、滋賀県米原市にある神社。『延喜式神名帳』にある「山津照神社(近江国・坂田郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。御祭神は国常立尊。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀年代は不詳。『近江坂田郡志』によれば、「興福寺官務牒疏」に「山津照神。在坂田郡箕浦之東能登瀬。供僧三人。神主二人。神人二人。宣化天皇3戌午年(538年)。影向勧請。金勝寺四箇處鎮守之其一也」とある。
天武天皇(在位:673年-686年)の御代に奉幣があり、『神祇資料』によると、「山津照神社、今能登瀬村にあり、称徳天皇天平神護2年(766年)、近江地6戸を神封に充奉る」とある。
文徳天皇の仁寿元年(851年)に正六位に進められ、清和天皇の貞観8年(866年)、正四位下に敍せられた。
宇多天皇の寛平9年(897年)、金勝寺の鎮守として、近江国の国司から、この年に年分度者2人に許可を与え、それぞれ飯道名神(信楽)と山津照名神とに仕えさせたい旨奏上したところ、朝廷もその請願を許可した。
醍醐天皇の延長6年(928年)、位記の印を請けた。
南北朝時代の光明天皇の暦応2年(1339年)、社殿の修造が行われた。後光厳天皇の文和3年(1354年)にも祈願があり、朝野の崇敬が厚く、社領の寄進などがしばしば行われた。
中世には青木の宮と称したが、明治以降はもとの現社号に復称し、明治14年(1881年)、郷社に列し、大正10年(1921年)には県社に昇格した。
近郷の総社として27ヶ村(現在は20ヶ村)の氏神として崇敬されている。
境内には山津照神社古墳がある。横山丘陵南端尾根東よりの丘陵上に位置し、東側に後円部は径26.4メートル、西側に前方部長さ39.6メートルの、全長46.2メートルの前方後円墳。
天野川中流域から平地にかけては多くの古墳が展開し、いわゆる息長氏にかかる墳墓「息長古墳群」の一つである。神功皇后の御陵候補地ともみられ、当然のことながら当社との深い関係があると思われる。
ちなみに、神功皇后陵は宮内庁によって奈良県奈良市の五社神古墳が「狹城楯列池上陵」として治定されている。
境内社に、青木神社・若宮八幡神社・春日社・北野社がある。
9月第2日曜日に、角力神事がある。鎌倉時代の後烏羽上皇(1198年退位、1221年配流)参拝の時からと伝えられる。
以前は県内はもちろん、隣県からも力士が参集し、地方としては稀な盛観を呈した祭事だった。角力は青年力士による式角力から始まり、小・中学生、青年と進み、中入りまである。
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