天智天皇の勅願で大和三輪を勧請、頼朝・尊氏が寄進、5月にサンヤレ踊り
[住所]滋賀県草津市片岡町245
[電話]077-568-2895

印岐志呂神社(いきしろじんじゃ)は、滋賀県草津市片岡町にある神社。『延喜式神名帳』にある「印岐志呂神社(近江国・栗太郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

境内は芦浦町と片岡町の境にあり、芦浦は第27代安閑天皇の御代、屯倉が置かれた場所。また、第31代用明天皇2年夏、悠紀(ゆき)地方に定められ、印岐志呂と名付けられた。

天智天皇の勅願により、大和三輪の大社(大神神社)より遷座、伊岐志呂大神と称した。御祭神は大己貴命国常立尊を配祀する。

仁寿元年(851年)正月、神位正を六位に叙せられ累進し、陽成天皇の御宇の元慶元年(877年)5月19日には正一位の宣下があった。

永暦年間(1160年-1161年)、源義朝による尾州攻落の時、頼朝が野路の宿より当社を遙拜し、武運長久を祈願した。建久元年(1190年)11月、頼朝は神殿と神田を寄進した。

建武2年(1335年)12月、足利尊氏との戦いの中で、社殿が炎上し、後に尊氏が再興している。元亀3年(1572年)、織田信長による佐々木攻伐の際、兵馬が神地に乱入し、古記・神宝が散逸した。

慶長年間(1596年-1615年)以降、地頭観音寺家より社殿の造営があり、豊臣家の忠臣長束大蔵大輔や領主六角左京之大夫高頼らが社殿を造営。

徳川家康が大阪に出陣にあたり、街道を進軍して親しく社前に額き、武運長久の祈願をしたと伝わる。明治9年(1876年)に郷社に列し、大正6年(1917年)7月に県社に昇格した。

例祭は5月3日。草津のサンヤレ踊りの一つ、片岡のサンヤレ踊りが行われる。現在は市の無形民俗文化財に指定されている。

その起源は古く、室町時代後期にはすでに行われていたたという。風流踊りの一つで、鉦・太鼓・笛などで疫病神の気を誘い、踊りの行列とともに集落の外に疫病神を追い払う。

境内社に、二宮神社・三宮神社・樹下神社・若宮神社・稲荷神社・恵比須神社・奥御前神社がある。また、文化財として、広鋒銅矛がある。神紋は左三ッ巴。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、病気平癒
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印岐志呂神社の御朱印