島津家菩提寺の廃絶により歴代当主と家族を奉斎、亀寿姫と紅御守、「持明祭」
[住所]鹿児島県鹿児島市吉野町9698-2
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鶴嶺神社(つるがねじんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市吉野町の仙巌園の中にある神社。近代社格では県社

島津家の菩提寺の廃絶に伴う、歴代当主とその家族を祀る神社として創建された。例祭は3月1日・10月1日。参拝すれば、御朱印を頂ける。

明治2年(1869年)3月24日、薩摩藩第12代で最後の藩主島津忠義の正室である暐姫が死去した際、葬儀を神式で行うことが決まったことをきっかけとして、薩摩藩領内の寺院の排斥が一気に進行した。

幕末の頃から廃仏毀釈運動の煽りを受けて、薩摩藩領内の寺院を廃止する機運があったが、かつて島津氏歴代当主の菩提を弔っていた福昌寺もこれで廃絶の憂き目にあった。

その代わりとして同年11月に忠義が鹿児島郡坂本村山下鶴峯(現 鹿児島市照国町)に祖先を祀る神社を創建し、これを竜尾神社と号したのが当社の創始。

島津氏初代忠久公以降の歴代当主とその家族、及び分家筋の玉里家歴代当主とその家族を祀る。不仲であったとされる島津斉興と島津斉彬の父子もともに祀られている。

中でも、16代当主島津義久の三女である亀寿姫を祀る神社として有名で、紅御守や島津美人御守、美の祈祷「持明祭」などは、美を追求する女性の信仰を集めている。

同時に従来の菩提寺で保管していた歴代当主の肖像画や宝物などは当社の他、島津忠良のものは竹田神社へ、島津貴久のものは松原神社へ、島津義久のものは大平神社へ、島津義弘のものは徳重神社へ、島津家久のものは長谷神社へ移されたという。

明治6年(1873年)に県社に列し、大正6年(1917年)に島津氏歴代の別館地であったことから、御祭神とも縁が深い現鎮座地を当時の当主忠重から寄進されて遷座、現社号に改称した。

なお、当社境内は国の史跡で重要文化財にも指定されている旧集成館の一部である。

西南戦争の際、島津家は中立を保っていたにもかかわらず、当社は官軍の強奪被害に遭い、多数の貴重な文化財を失った。これらの宝物の消息は現在に至るまで不明で、県が現在に至るまで文化財過疎県である一因となっているという。

それでも文化財として、太刀 銘備前国住雲次、赤糸威大鎧 兜・大袖、杏葉付を所蔵しており、国の重要文化財に指定されている。

ちなみにこの名称は旧鎮座地に由来する。神奈川県茅ヶ崎市浜之郷に鶴嶺八幡宮というよく似た社号の神社があるが、全く別の神社。

【ご利益】
諸願成就、家内安全、一族繁栄、美容・美顔(公式HP
鶴嶺神社 - 島津家菩提寺の廃絶により歴代当主と家族を奉斎、亀寿姫と紅御守、「持明祭」
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鶴嶺神社の御朱印