道鏡の追手に重傷を負わされた和気清麻呂を癒した足立山妙見宮
[住所]福岡県北九州市小倉北区妙見町17-2
[電話]093-921-2292

御祖神社(みおやじんじゃ)は、福岡県北九州市小倉北区にある神社。近代社格では県社。足立山妙見宮の名で市民に親しまれている。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。

神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮神託事件に関連して大隅国へ遠島となった和気清麻呂に対して、道鏡がその途上、清麻呂の命を断とうとしたのに対して、猪がこれを助けたという伝承が、各地にある。

例えば、兵庫県加古川市の宗佐厄神八幡神社、岡山県和気郡和気町の和気神社、鹿児島県霧島市の和気神社など。足を怪我していたためか、杖をついていた伝承が、鹿児島県姶良市の蒲生八幡神社にある。

その騒動の中で、足の筋を切られるという重傷を負った清麻呂は、ゆかりの宇佐八幡宮の神託を再度得て、現在の小倉北区湯川にあった霊泉につかると、足の傷が癒えた。

そこで、清麻呂が近くの足立山に登り、造化神北辰尊星妙見に天皇の安泰と反逆者がいなくなることを祈願、造化の天神が現れ聞き入れたことが、当社の創祀となる。

主祭神は天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神の造化三神。現在は、後述のように和気清麻呂公命も合祀されており、その他諸神も合祀されている。

銅鏡が追放された後、京に戻った清麻呂は、その四男である磐梨為綱、出家して妙運を足立山に送り、当社を創建した。宝亀3年(772年)、当地の国司、大伴百世の助けで、葛原峰が坂の足立に下宮、足立山平癒寺を建立した。

弘仁8年(817年)、清麻呂三男の参議真網が、宇佐に勅使として参った帰り、下宮に清麻呂と祖先の神霊を祀った。仁寿3年(853年)、藤原良房が、虚空蔵、釈迦、薬師、阿弥陀の仏像四体を寄進。その他、大日不休息の仏像二体が、現在も隣接する薬師堂に安置されている。

天暦元年(947年)、村上天皇の勅願所となる。以降、戦国時代までに後述の古鏡が埋蔵されたという。永正17年(1520年)ごろ、後柏原天皇より「うら菊」の紋章を授かる。

慶長6年(1601年)、細川忠興が眼病平癒を祈願し、その成就により下宮を現在地に移して鎮祭。その際、日向から取り寄せた松を植樹している。

寛政7年(1795年)、小倉藩5代藩主小笠原忠苗が足立山山頂を参拝、その際にお茶の用意のために当社地を掘ったところ、古鏡が出土した。

出土した古鏡は9面あり、湖州伝々の銘のある古鏡6面、流水飛鳥や梅鳥のある古鏡が3面。現在は市立自然史・歴史博物館(いのちのたび博物館)に寄託されている。

明治維新の後、間もなく平癒寺から現社号に改称。戦後、昭和20年(1945年)には足立山妙見宮を再称、かつ、全国妙見総本宮と追称し、現在に至る。

例祭は4月13日。関連の奉納行事はその数日前から始まり、神楽舞「あだち」、豊前神楽「三毛門神楽講」などが奉納される。

8月23日には合祀した水神社の行事である奉納水神相撲祭がある。子供相撲が斎行される。現在は、当社氏子地域からも参加している。

狛猪があり、わらじのお守り、健脚守などがある健脚健康の神、あるいは九州でも随一と言われるしだれ桜の名所またはハイキングコースとして市民の憩いの場となっている。

【ご利益】
健脚健康の神、健康長寿、病気平癒、安産(公式HP
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御祖神社(北九州市)の御朱印