奈良朝に再建された東蓮寺藩主の崇敬社、元禄以来続く神幸行事
[住所]福岡県直方市直方701
[電話]0949-22-0125
多賀神社(たがじんじゃ)は、福岡県直方市にある神社。近代社格では県社。創建年代は不詳。御祭神は伊邪那岐大神・伊邪那美大神で、八幡大神を配祀する。参拝すれば、御朱印を頂ける。
古くは日ノ少宮・日若宮・日の若宮と称し、奈良時代の養老3年(719年)に再建、天平8年(736年)には妙見大明神多賀大神と称えた。
南北朝時代の正平年間(1347年-1370年)、征西将軍の懐良親王が願主となり、菊地武光が資金を献じて社殿の改築が行われた。
江戸時代、黒田藩政となると、黒田家が直方を支藩(東蓮寺藩、後に直方藩)とし、初代高政から2代之勝、廃藩を経て、二期目の初代・4代長清にわたり崇敬された。
この期間に、本殿以下、末社、鳥居、能舞台にいたるまで総てが改築された。一の鳥居は長清による建立で、柱銘は貝原益軒の書。長清は南の山上より現在地に遷座している。
元禄5年(1692年)、宮司青山敏文は禁裏に願い、もとの多賀大神に改称し、神馬渡御の御神幸を復興している。本殿の額は大納言油小路隆貞の染筆になるもの。
春季大祭が4月13日-15日、秋季大祭が10月13日-15日。4年に一度、10月第3土・日曜日前後に元禄以来続く神幸行事が行われる。
行事は日没後、当社から新町の須賀神社の御旅所に向かうもので、直方の旧城下町の周囲やメインストリートを練り歩き、弓張提灯百数十本に輝く古式豊かな平安絵巻が繰り広げられる。行事の際、飾り山8台が出て華やかさを盛り上げる。市の無形民俗文化財。
黄玉樹(おがたまのき)が市の天然記念物に指定されている。胸高周囲3.1メートル、根回り12.9メートル、樹高18メートル、枝張り東西15.7メートル、南北15.6メートル。
【ご利益】
健康長寿・開運厄除・縁結び・安産・家内安全・交通安全(公式HP)
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多賀神社(たがじんじゃ)は、福岡県直方市にある神社。近代社格では県社。創建年代は不詳。御祭神は伊邪那岐大神・伊邪那美大神で、八幡大神を配祀する。参拝すれば、御朱印を頂ける。
古くは日ノ少宮・日若宮・日の若宮と称し、奈良時代の養老3年(719年)に再建、天平8年(736年)には妙見大明神多賀大神と称えた。
南北朝時代の正平年間(1347年-1370年)、征西将軍の懐良親王が願主となり、菊地武光が資金を献じて社殿の改築が行われた。
江戸時代、黒田藩政となると、黒田家が直方を支藩(東蓮寺藩、後に直方藩)とし、初代高政から2代之勝、廃藩を経て、二期目の初代・4代長清にわたり崇敬された。
この期間に、本殿以下、末社、鳥居、能舞台にいたるまで総てが改築された。一の鳥居は長清による建立で、柱銘は貝原益軒の書。長清は南の山上より現在地に遷座している。
元禄5年(1692年)、宮司青山敏文は禁裏に願い、もとの多賀大神に改称し、神馬渡御の御神幸を復興している。本殿の額は大納言油小路隆貞の染筆になるもの。
春季大祭が4月13日-15日、秋季大祭が10月13日-15日。4年に一度、10月第3土・日曜日前後に元禄以来続く神幸行事が行われる。
行事は日没後、当社から新町の須賀神社の御旅所に向かうもので、直方の旧城下町の周囲やメインストリートを練り歩き、弓張提灯百数十本に輝く古式豊かな平安絵巻が繰り広げられる。行事の際、飾り山8台が出て華やかさを盛り上げる。市の無形民俗文化財。
黄玉樹(おがたまのき)が市の天然記念物に指定されている。胸高周囲3.1メートル、根回り12.9メートル、樹高18メートル、枝張り東西15.7メートル、南北15.6メートル。
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